無縁社会の実態について --その原因と対策--
現代は、つながりが感じられなくなった社会だと言う。
地縁・血縁・社縁が崩壊し、人々は孤独に怯えるようになったと言われるが、その原因については、あまり言及されてこなかった。確かに、単身世帯は増えてる気がするし、一人の行動を好む人が増えてる気がするが、果たして何故なのか。その理由はあまり語られていない。その点について改めて考えてみたのが今回のエントリである。
まず、様々な考察を通じて感じたのは、人は根源的に自由に生きたいということだ。自分の思い通りに、どんなしがらみにも縛られず、好きなように生きることを望む。有縁社会とは、様々な制約条件からそれができなかった社会だと考える。そして、現代はその制約条件を開放し、自由を手に入れた社会だと考えられる。
1.経済的要因 ―中心的要因--
まず、高齢者。社会保障制度が充実し始め、本格的に息子・娘世代に頼る必要がなくなった。一人、あるいは、高齢夫婦で、十分生きていけるだけの所得が手に入るようになった。また、家族としても大勢で物資を共有し、節約する必要がなくなった。各家庭、それぞれ必要なものを取り揃える経済的余裕が生まれた。これは社会全体が裕福になったことに原因がある。そして、これは若年層にも言える。仕送りでも、バイトでも、自らの生活費を自前で賄うことが可能になり、十分都心で一人で生きていける環境が整った。更に、女性。これまで夫に頼ることでしか生きてこれなかった女性が、自ら職場に進出することで、自身の生活費を稼ぐことが可能になった。わざわざ結婚しなくとも、生活ができるようになった。一方で、職場進出できていない、夫に取り残された女性は、極めて厳しい状況に追いやられていることも事実である。こうした経済的要因から、各自が共用、協力せずとも生活できるようになり、晴れて念願の自由を手に入れることができた。情報技術の発展など、個人の活動に役立つツールが現れたことも、この流れを促進している。
2.都市化、移動の自由の獲得
それまで仕事は基本的に自分が住んでいる地域で行うもの--農業など、土地に縛られた仕事が存在した--だったが、産業革命の影響を受けて、効率が向上、農作業にそれほど人がいらなくなり、余剰人員が生まれた。これをうまく吸収する形で、日本の産業化は進んだ。そして、住居と職場が分離され、労働者は都市に進出することになった。そういった意味でも、地縁はもはや意味をもたなくなったし、血縁も、地元に残る世代と、都市に進出する世代で分断されることになった。これを支えたのが輸送技術の発達である。移動が容易になり、思うように拠点を変えることができるようになった。これに拍車をかけたのが、やはり情報技術の発展である。もはや直接会う必要もなくなった。絆はどんどん薄れるばかりである。しかも、移動が容易になったおかげで、村社会特有の相互監視、長期取引慣行もなくなり、相手に配慮する必要がなくなった。自分本位で行動しても大きな問題につながらない時代になってきた。
3.格差の拡大、新自由主義的思想の流入
確かに経済的成長によって、人々に余裕が生まれて、個人の好きなように行動する自由が手に入ったが、70年代のオイルショック、80年代の減量経営、90年代のバブル崩壊という流れを受けて、企業も体力的余裕を失い、余分な従業員を抱えきれなくなり、経済的成長が止まったことで、競争が激化することにつながった。そのため、自分本位の行動が増加し、協力する時は、協力が必要な時だけ、という態度につながることになる。
以上、これらの問題は、結婚、その他についても言える。要は、人間は人に干渉されず、好きなように生きたい、そして、必要な時だけつながりを求めたいという傾向があり、それに資本主義、新自由主義的風邪が拍車をかけ、経済的成長、技術の発展がそれを可能にした。というのが無縁社会の実態だと思う。江戸時代の身分制が云々、個人主義が云々という話は、あまり重要ではないと思う。そうではなく、人間の基本的な欲求の結果こそが、無縁社会ということだと考える。
しかし、ここで問題になるのは、この無縁社会にいかに対応するか、ということである。何らかの方法で共同体を復活させるか、はたまた、社会保障など全く別の観点からの解決を図るか。個人的には、共同体を復権させたい。なぜなら、それが人間のあるべき姿、そして、人々の本質的な幸福につながる気がするから。
今回のエントリでは、最近よく耳にする無縁社会というものに、できるだけ自分の心と照らし合わせることで、考察を加えてみた。その結果、今の無縁社会は、人々が望んだ結果である、という結論に至ったが、改めてこれを乗り越えて、より良い社会を模索しなければならない。孤独に怯え、不安でいっぱいな日常を送る社会が幸せだとは、考えにくい。その具体的解決法はまだまだ不明だが、今一度その点について考えてみたいと思う。
ではでは。