日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

絆の時代 --コミュニケーション力の重要性--

唐突ですが、これからは「絆」の時代です。これは僕が様々な、学び、考えてきた結果の一つの結論です。もしかしたら、この結論は僕特殊なものかもしれません。というのも、僕は幼少期を海外で過ごしたことは何度か書いてきたことですが、しかも、両親が転勤族で各地を転々としていました。これは海外育ちの人には当然のことなのですが、海外で過ごしていると、転校・転入が当たり前です。つまり、人間関係が1年(年度)毎に書き換えられます。これがどういう副作用をもたらすかと言えば、固定的な人間関係・親密な人間関係を、構造的に築けないことになります。この経験が僕の今のあり方を規定しました。僕には地元もなければ、故郷もありません。僕を包摂してくれる固定的な人間関係もありません。これは社会学的には非常に危険な状況と言えます。社会関係資本が脆弱なんですね。一度危機に陥れば、助けてくれる人がいない、自分の感情的回復を助けてくれる人がいない。これが--意識したことはありませんでしたが--僕の人生上の課題でした。

 

だからこそ、僕はコミュニケーションスキル、もっと言えば、人と関係を紡ぐ力を磨きました。特定の誰かと濃密な関係を紡げないなら、誰とでも深い関係を紡ぐ力をつければいい。そう考え、訓練に訓練を重ねました。たくさんの人と会って、多様な人と会って、話し方・セリフ・表情、様々な関連要素を調整して、技術を磨きました。そうするとどうなるか。自分で社会関係資本を蓄積していけるようになるんですね。つまり、どこに行っても自分のホームベース(出撃基地・帰還場所)を築けるからこそ、自分の帰るべき場所が多元的に存在し、逆説的ですが、自分の安心が強化される。

 

そして、この力が、今の時代にはより求められているのではないかと考えています。どういうことかと言えば、今の時代、非常に生きやすくなりました。経済的に豊かになったこともありますが、自分の意志を尊重される機会が増えたことが一つあります。つまり、「嫌ならやめればいい」という考え方が通用する時代になってきました。それは交通機関・情報技術の発展によって可能になってきたことです。ただ、そうした結果、「逆も然り」という状況になってきました。どういうことかと言えば、相手にとっても自分が「嫌なやつ」になれば世話をしない、という時代になってきたということです。これは危険です。社会関係資本--相手の善意--を期待・信頼できない時代になってきました。これは精神的にも辛いですし、実利的にも大変です。急に病気になっても誰も助けてくれません。だからこそ、コミュニケーションスキルが大切なのですね。そういう人間関係を意識的に作れるか、用意された関係--小中高の同窓など--ではなく、自ら関係性を紡げるか、これが非常に重要な時代なってきていると言えます。

 

最後に、

この点について自覚的ではない人が周りに多かったので書いてみました。ただ、時間の関係上まだ書き切れてない点も多いので、また改めて書ければと思います。

 

ではでは。