日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

将来の労働市場の問題 -出世競争に敗けた早期退職者はどこにいくの?--

ドラッカーの『断絶の時代』に、知識労働者は長すぎる労働寿命の内に自分の仕事に飽きてしまう、という記述があった。それまで40~50歳で終了していた現役期間が、今では60歳、時には65歳までに延長され、労働寿命は遥かに伸びている。この間に知識労働者は自分の仕事に飽き、やりがいを見失ってしまう、という。

 

知識労働者の独自性、なぜ知識労働者は仕事に飽きてしまうのか、という点は一旦置いておいて、果たしてドラッカーのいうことは正しいのだろうか、ということを考えてみる。確かに、入社後3年で会社を辞め、転職する人が増えているなど、仕事に飽きているかのように見える人は増えているのかもしれない。しかし、周りを見渡すかぎり、大企業の役員は皆高齢者だし、活き活きと働いているように見える。それでは、ドラッカーは誤っていたのだろうか。

 

ドラッカーはこうも語っている。トップ層は別だ、と。トップ層はいつまでも充実して最後まで業務に邁進する。問題はトップ層以外の中高年労働者である。要はこれを日本社会に置き換えれば大企業において出世競争に敗れた中高年層、ということになる。これは官公庁でも一緒である。

 

これまでそうした人達は、弱小部門に異動したり、出向したり、公務員は天下りしたり、それ相応のポストを組織が用意してくれていた。しかし、現在では、企業は激しい国際競争の結果、十分な企業体力を失い、余分な社員を抱えることができず、終身雇用は限界に直面している。官公庁も天下りに対する目は益々厳しくなり、そうやすやすと天下りできる環境ではなくなってきている。要は、組織や社会からこぼれ落ちる可能性がある層が生まれ来ているということである。この点について今の日本社会は明確な答えは用意していない。そして、この点に立ち返ってみればドラッカーのいうことは確かに正しい。ひと通り仕事を覚え、毎日それほど苦労するわけでもなく、かといって、昇進できるわけでもなく、非常に中途半端な、やりがいの感じにくい環境に放り込まれる。この状況に対して、確かに今の社会は解決策を用意していない。

 

ドラッカーが伝えたかったことは知識労働者、と言うよりは、行き場を失った中高年層の余剰人員、ということになる。彼らを社会として支え、そして、彼らを必要としている場に接続してあげる必要がある。それは彼ら個人にとっても、そして、社会全体の生産性にとっても。そのための施策が必要になる。労働問題、まとめ。

 

ではでは。