日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

実業家の役割。

最近、こう、いろいろと考えていて、世の中には結構放置されている問題があるのではないかなぁと思う機会が多い。誰も手を付けたがらないし、面倒だなぁと思ってることが。それは普段の生活を見ていてもなんとなぁく推測できる。誰も、面倒なこと、やりたがらないじゃない?それで、誰か殊勝な人がこっそり後始末をしていたりする。人間、社会に出たからってそう変わらないわけで、やっぱりやりたくないことには誰も手を出したがらないし、誰も手を出さなければ問題は放置されたままになってしまう。

 

例えば、病児保育。母親の悩み。子供の体調が悪いからと会社を休むと会社での立場が悪くなる。酷い時には解雇される。こういう問題も、ずっと昔から起きていたんだと思う。そして、周りもずっと気づいていた。でも、誰も声をあげなかった。自分の立場が悪くなるだけだし、別に誰かが解雇されて、究極、自分が困るわけではない。放置され続けてきた。事業としても、余りにニッチで、正直取り組むメリットがない。誰にとってもメリットがなく、当事者だけがただただ困っていく。悲しいほど無力に。この問題に取り組んだのがフローレンスの駒崎弘樹さんだった。年配の子育て経験者を「こどもレスキュー隊員」として派遣することから始まり、2009年には東京23区、650世帯をカバーするまでに成長、最近では4.4億円の収益をあげるまでなっている。これは社会起業家として、相当に成功した例だと思う。

 

実業家の役割

僕は実業家の役割、もっと言えば、持てる個人の役割は、こういうところにもあると思う。社会的に解決は難しいんだけれども、社会の網の目からこぼれおちてしまったんだけれども、確かに困っている人がいて、社会最適を考える機関ではどうしても対処できない。事業化も難しい。そういう問題に個人のレベルで機動力高く切り込んでいって、まずは一人で鎮火、課題解決のスキームを作りながら、特別な技術・能力も必要とせず、より多くの人が参加できるプラットフォームを創出して、仕事化して、市場化して、産業化して、社会に根付かせる。これを各所で、局所的に、ゲリラ的に。そういう活動が必要かなぁと思う。

 

特に製造業、どんな技術も初めは専門的な職人技術だった。それが徐々に形式知化され、マニュアル化され、誰にでもできる仕事に変化していった。最終的に繰り返しの作業になり、命令に落とし込まれ、機械が担える条件が整った。産業化できるか、が1つの鍵ですね。

 

これ、自分のツイートなんですけど(@naughty5119)、似たような話で、初めはどんな問題も誰にとっても初見で、解決に特別な技巧を必要とする。それができる人は限られていて、時に彼らは起業家・実業家と呼ばれて、ただひたすらに課題に取り組む。その内、徐々に課題解決の方法がわかってきて、それを体で覚えてきて、今度は組織化、人に教えることに取り組みだす。自分一人では活動にどうしても規模感が出ないから。そうして、比較的技能ある人に仕事を教え、益々仕事を、課題解決の方法論を、形式知的に標準化していく。理論化し、方法論化し、言語化し、書面化していく。そして、仕事はようやく誰にでもできるものになる。仕事化し、市場化し、産業化する。これが課題解決の1つの方法論なのではないだろうか。

 

だから、何か問題があったら、確かに面倒なんだけど、少し足を伸ばして、少しコミットして、解決する人がいてもいいんじゃないか。そういう人、個人が、増えてもいいのではないか。そんなことを思うし、自分もそういうことができるポジションにいたい、将来。

 

例えば、震災。震災が起こると同時に孫正義さんはポーンと100億円を寄付。他にも、各所で個人が活動し、自分の直接の知人も被災地に居座り、復興に勤しんだ。最近だと堀江貴文さんの家入一真さんへの供託金貸与もそう。少しのきっかけがあるだけで、物事が動くことってあると思う。こういう動きが、もう少し。

 

OCICA - 石巻市牡鹿半島の漁村に暮らすお母さん達による手仕事ブランド

 

社会を広く見てみると、あれ、これ誰が解決するんだろうと思う問題が結構多い。そんなことに気づき、書いてみました。これを一番やったのが、渋沢栄一、なんだよなぁ。

 

渋沢栄一 日本を創った実業人 (講談社プラスアルファ文庫)

渋沢栄一 日本を創った実業人 (講談社プラスアルファ文庫)

 

 

ではでは。