日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

リーダーの役割。リーダーの孤独。リーダーとしての生き方。 --リーダーシップとは--

ビジョナリーには怖さがある。ビジョナリーには永遠に対峙しなければいけない孤独がある。

 

それは、ビジョンを持ち、組織を率いるが故の怖さと、リーダ故の怖さ。決断の怖さ、組織の最先端、最も外側で、社会に触れ続ける怖さ、常に仮説にすぎない怖さ。仮説で行動しなければいけない怖さ。仮説を試され続ける怖さ。

 

ビジョンを持つ故の怖さ。孤独。

ビジョンは究極自分の頭の中にしかない。確かに仲間はいるが、どうしても考えはズレる。あるいは、ズレていなくても納得しない、反対することがある。究極、ビジョンは自分の頭の中にしかない。だからこそ、ビジョンを実現するまでの道筋も自分の頭の中にしかない。道筋を描く能力に長けている人がいても、道筋が到達する場所を正確に描けるのは、頭の中にビジョンがある、ビジョナリーだけだからだ。到達する場所が違えば、いかに良い道でもいつまで経っても到達しない。だからこそ、自分が組織の成果を決めるしボトルネックになり得る。代替は効かないし、自分の背後には誰もいない。これは、そういう生き方を決めた時から逃れられない宿命である。

 

一方、組織の中の人は幾分気楽である。組織の行方に気を病む必要がない。自分の与えられた範囲の仕事こなしていればいい。もちろんそんなつもりで仕事している人はあまりいないとは思うが、それは構造上仕方のないことなのだ。社長の考えていることを全て理解することはできないし、上司の考えていることを把握することすら難しい。だからこそ、組織の中で、組織最適に行動していれば、ひとまず大きな問題はない。

 

これは自分がフォロワーを経験して、リーダーを経験して、ビジョナリーを経験して、わかったことである。自分の頭の中には鮮明なイメージがあるが、これを理解し、自律的に組織を創っていくことはできないだろうなと感覚的に思うのである。度々イメージの補給が必要になる。

 

だから、これまで自分が感じていた、自分の頭の中にイメージが収納できない、自発的なイメージではないという感覚は近かったのだ。つまり、フォロワーにはフォロワーの働き方があるのである。それを履き違えていた。まずは上長のイメージを理解し、自分の中にイメージを醸成しなければいけない。それをしなければ組織として働けない。逆に、イメージを伝えられない、イメージがない上長はそれだけで無能な存在ということになる。

 

リーダーの怖さ。決断の怖さ。

次に、リーダーとしてビジョンを描き、決断する怖さがある。まず、ビジョンが正しいかはわからない。自分なりに絵を描くものの、そこまでの道筋を描くものの、それが正しいかはわからない。仮説にすぎない。社会に問いかける必要がある、仮説の正しさを。世に出してみなければわからない。そういう怖さがある。

 

そして、日々決断する怖さがある。リーダーとフォロワーの役割、仕事の質には確実な違いがある。これは経営者に限定することなくて、純粋なリーダーの話なんだけど、それはやっぱり決断する、意思決定する機会があるかどうか。決断って慣れてないとすごく難しくて、なんでかって言うと、答えがないから。世の中、基本的に答えなんてない。それはみんなわかってるんだけど、例えば、上司とか、相談役とか、最終的に決断、あるいは、承認を下す存在がいて、答えに近いものが存在することに慣れている。ただ、本当の本当は答えなんてなくて、最後は決断、曖昧模糊とした捉えどころのないものに、自分なりの正しさを定義して、基準や尺度を設けて、なんとなく一番答えに近そうなものを選択していく。実は、これは慣れないと難しい作業で、それはやっぱり勇気がいるから。勇気がいると人は躊躇うんだよね。だから慣れる必要がある。

 

経営者は一人。あるいは、経営層は一塊。それ以外はフォロワー。伺う必要がある。頭の中の絵を。絵と戦略・戦術を。経営者、あるいは、経営層の中にしか存在しない、それは。経営者、経営陣、というのはかくも特別な存在で、そして、自分に従ってくれるからには、従ってくれる人に対しての責任がある。自分の考えに対しての説明責任。組織を問題なく運営するための責任。だって、フォロワーはあまりに無力だから。自分の運命、進む先さえ知らない。経営者、自分の上司、組織に、任せてしまっている。その中でしか生きられない。無邪気なのである。驚くほどに。進む先、組織の状況、進退を知るのは、究極経営者だけなのである。自分の頭の中にしかイメージ、ビジョンが存在しないから。それは唯一無二なのである。真似できない。それがリーダーの特権であり、責任である。全容を知っているのは自分しかいない。確かに、その通りだな、と。だから、自分の考えを事あるごとに事細かに、社員に広める必要がある。それが社是、社訓、そして、会社の理念になる。コミュニケーションの手段として、ツールとして。

 

ではでは。