日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

みんな気づいているけど、あんまり言わないタブー「人生は暇つぶし」

これは確かにその通りだなぁと思ったので紹介します。

 

暇つぶしという重要な問題 - 『暇と退屈の倫理学』 : アゴラ - ライブドアブログ

 

極論ですが、現代の、特に我が国のような経済状況では、多くの人にとって労働は、本当の意味で「生活上必要なもの」ではなく、半分ほどは必要以上の労働、つまり、いわば気晴らしのために従事している労働、なんですよね。その日暮らしの、最低限の生活を送るためには、それほど残業をする必要はほとんどありません。

 

しかし、それを認めて本当に必要最低限の労働のみに限定してしまうと、無意味な余暇が生まれてしまい、虚無感に襲われる。自分の人生に意味が無いことに気付かされてしまう。本当はこの虚無感に対して、これまで宗教が処方箋として機能していたんだけれども、現代、特に我が国では、宗教は大部分の人にとってあまり機能せず、人々は自分の人生の意味を探し彷徨いだしてしまう。だからこそ、労働は気晴らしなんです。労働に夢中になることで、人生の意味なんてつまらないこと、考えずに済むんです。あるいは、労働に意味を付与することで、自分の人生の意味を、半ば強引に、創りだすんです。

 

ただ、それは、実はすごく贅沢で、可能性に溢れることだな、とも思います。もちろん、労働がそれほど必要ではない、という意味でも贅沢なのですが、何より自由がある。個人の裁量があり、自分の人生に悩み、選択できる。この振れ幅こそ、人類が近代、現代まで、試行錯誤を続けることで獲得したギフトなのではないかと思います。しかも、自分の人生に意味が無いと気付き、たまらず自分の人生の意義を探し出した私達は、時に壮大な物語にめぐり逢うことすらあります。小さなきっかけや思い込みを重ねた結果、自分にしか描けないような物語に出会ってしまい、その後物語の主人公として奔走しだすのです。

 

例を挙げるのであれば、スティーブ・ジョブズも、別に「最高のコンピューターを作」らなくても良かったわけです。ただ、彼がたまたま養子で、たまたまそれをポジティブに受け止め、自分が選ばれた人間だと認識し、育ての親がエンジニアで、HPでバイトし、ウォズに出会い、コンピューターに出会い、禅に明け暮れ、大学を中退し、カリグラフィーに出会い、…、という一連の出来事を、1つのストーリー、彼の場合信念ですが、に仕立て上げ、世紀を代表する経営者として成功を収めました。

 

この密かで、けれども、確かに熱のこもった運動が、積もり積もって世の中を少し前に推し進めていきます。余裕がないと新しいことに挑戦できませんから。持て余した時間を何に使おうかと考えた結果、要らないことに手を出して、時々何かを発見するんです。これがイノベーションですよね。だから、現代はすごく贅沢で可能性に溢れた時代だと思います。

 

実は、人生には意味がなくて、人々の信じる物語はハリボテにしか過ぎないのに、その物語を健気にも信じたビジョナリーが、世の中を変える。すごく面白いですよね。

 

そんなことを、人生なんて気晴らしだ!と喝破する池田先生の文章を微笑ましく読みながら、思いました。

 

ではでは。