日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

会社をクビにならないたった1つの方法 …など、存在しないことについて

世の中には成功体験という名の自己正当化や身の上話は山ほどあふれているが、惨めな失敗体験や自分の落ちこぼれ話を赤裸々に--本当に赤裸々に--書いたものは実はあまり多くない。

 

しかし、個人的な考えではそうした赤裸々な失敗話こそが、少なくない人を救い--ああ、みんなそうなんだという安心--、自分と境遇の似た、限定的な人に打開の光明を注げるのだと思う。

 

オマエタチ、みんなカッコツケすぎだ。誰もそんなオマエのことなんて、気にとめてもイナイヨ。ラクになっちまえばいいんだヨ。

 

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自分の人生を振り返ると、自分には挫折経験こそあれ、落ちこぼれ経験は少なかった。挫折経験と落ちこぼれ経験の差がどこにあるかといえば、挫折経験は極めて自分的問題なのに対し、落ちこぼれ経験は他者的経験、要は人と比べた時に圧倒的に自分ができていないという揺るぎない事実を指す。

 

少し自分の話をしよう。自分はキャリア上、大きく出遅れたという経験が少ない。基本的には上位何%にいて、自分が抱える問題は、相対的には確かに問題だが、致命的な危険水域に立ち入ることは少なかった。しかし、それが今ではクビの危機である。

 

しかも、生半可なクビの危機ではない。基本的にできることはすべて行い、周りも巻き込んで、腐らずに改善活動を続けている。当然だが、労働時間は同僚の中でも--圧倒的に--一番長い。それでいて、成績は最低水準。これでは上司も頭を抱える。同期も救いたくても、もはや救いの手すら思い浮かばない。

 

何がこの事態を引き起こしたのか。

 

1つはゲーム・ルールの変化である。これまでは情報処理や基本的な論理的思考能力があればあまり問題はなかった。そして、競争を圧倒的に避けていた。例えば、起業。起業すれば、それだけでなんとなくのブランドイメージを獲得し、起業がうまくいっているか、うまくいっていないかは実はあまり問われない。(もちろん本物の水準になれば、身を切るような競争の現場がある。しかし、少し水準を落とすと、起業家はやはり特異な存在なのだ。)というより、そもそも起業する人が少なすぎて、あまり比較の対象にならない。だからこそ、自分は「挫折」した。そういう意味でやはり挫折は自分的問題であり、当時の自分は「落ちこぼれ」ずにすんでいた。

 

以上をまとめると、純粋な情報処理からコミュニケーションにその比重が移り、事前の対策から現場での即興の対策が大切になった途端に、用なしお荷物人材となるわけだ。そして、全く同じ条件・尺度で客観的に評価された途端に、その印象と異なり、否定しようのない無能さが明らかになる、というのが現実だ。なんとなく凄そうで、ひたむきな努力の姿勢さえ見せておけば問題がなかったあの日々は、もう戻ってこない。

 

それはこれまでの人生でも薄々気づいていたことでもあった。そのツケがここに来て回ってきたということだろう。余談にはなるが、全く平等、かつ、客観的な尺度で評価される経験は、個人的にはよいことだと思う。様々な要素が正直に数字に現れるため、自分の欠点が素直に浮き彫りになる。人生の負債にようやく対面を果たすことができる。

 

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何が言いたいかといえば、ゲームのルールが変わったのである。つまり、自分のやり方を変えなければいけないし、戦い方を変えなければいけない。これまでの "前近代的な" 戦闘フォームを抜けだして、"現代的な" 戦い方に、自分のスタイルを転換しなければいけない。

 

それでは、"現代的な" 戦闘フォームとは一体何か。

それは、「あらゆる物事には答えがない」という前提に立った取り組み方である。

 

こうして言葉にしてみると、すでに言い古された言葉で、今更感があるが、自分の場合は人より遅れてようやく今、少し、辿り着いた。

 

これまでの日本型教育ではまさに詰め込み型教育が行われれてきた。「物事には答えがある」という前提に立ち、その「答え」をできる限り収納し、必要に応じて引き出すという手法である。もちろん車輪の再発明を避けるためにも、知の遺産を引き継ぐことは悪いことではない。しかし、その作業には副作用があり、そして、ゲームのルールは変わったという、ただそれだけの話だ。制度の足腰はいつも重い。

 

今回、自分は自分の境地を抜け出すためにも、たくさんの情報に当たった。要は、ググり、調べた。しかし、自分が求める情報にはついぞたどり着けなかった。例えば、職場の悩みといえば、無能な上司や職場の人間関係など、正直自分には関係のないものばかりであった。現在の職場環境に不満はないし、上司に不満もない。みな優秀だ。今回のすべての理由は自分にある。そこに言い訳の立ち込む余地はない。

 

一番自分の境遇に近かったのは、プロ野球選手の成績不振。毎日のように試合があり、打席は毎日のように回ってくる。打率は極めて客観的な数字として現れ、成績が落ちれば二軍落ち。最悪の場合、戦力外通告。活躍したくないプロ野球選手などいなければ、努力していないプロ野球選手もいない。しかし、それでも成績はでない。そんなことがざらにあるのだ。みなトップパフォーマーの集まりだからこそ。

 

しかしながら、彼らはあまり文筆に残さない。彼らの赤裸々な気持ちを、同期が、後輩が、スターステージを駆け上り、毎日の素振りが、成績ではなく、手の豆しか残さないあの無意味とすら思える日々の沈んだ気持ちを、ほとんどネットの海に放つことはない。その想いが、気持ちが、自分に届くことはなかった。

 

だからこそ、一番近かったのは--そして、文章に残すほど外的社交性があるのは--やはり経営者だった。"Hard Things". ベン・ホロウィッツの著作だ。赤裸々、かつ、緻密な表現力。そこから学ぶことは多かった。

 

HARD THINGS

HARD THINGS

 

 

ベン・ホロウィッツは a16z の略称で知られる、トップベンチャーキャピタル アンドリーセン・ホロウィッツの創業者であり、マーク・アンドリーセンと共にネット・スケープを "成功" に導いた人物だ。

 

そこにこうした言葉がある。

 

"経営の自己啓発書は、そもそも対処法が存在しない問題に、対処法を教えようとするところに問題がある。"

 

つまり、世の中の問題の多くは--正確には解決すべき課題の多くは--答えはググっても出てこない。答えどこにもないのだ。全ては個別的、かつ、具体的な問題で、自分の、君の、目と耳をもって得た情報と考えた結果、それこそがこの世の中で一番答えに近い仮説になる。ぼくらにできることは唯一、絶え間ない仮説構築と、その仮説を実践し、少しでも目の前の事態を推し進めることなのだ。

 

大変そう?それでもいい。しかし、それこそが世界の前線であり、それを放棄した途端、自分の、あなたの人生は、明確に余裕のないものになる。この能力の有無が、自分の頭で考え、自分の構想で行動し、面白みのある活動を、ハイリターンで継続できる鍵になるのだ。

 

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さて、これは挑戦である。しかも、すぐには成果の出ない、時間のかかる、時に自分の人格や自尊心にすら改変の手を加えなければいけない、痛みや屈辱の伴う挑戦である。あー、やだやだ。本当はこんな惨めな思いをしたくないですよ。でも、その先に確かに拓かれた未来があるから、「落ちこぼれ」のままの自分が嫌いだから、やってやる。苦手なことを乗り越えると、その先には平穏なブルー・オーシャンが広がっている。だって、得意なことはみなできるから。得意なことが増えて、掛け合わせが増えれば、そして、その掛け合わせの数が世の中に少なければ、自分の土俵は、かなり希少性の高いものになり、戦いは余裕を含んだものになる。

 


22 矢沢永吉 ラン&ラン「勝てば官軍、勝ち続けるしかない」 - YouTube

 

ではでは。