今の社会は全て幻想で、あなたを支えるものは実は何もない、という事実
ちょっとこの動画を見ていて思うところがあったので書いてみます。
【レア対談】宮台真司 VS 石原慎太郎 ためになる話 - YouTube
今の社会は「底が抜けている」んですよね。宮台曰く。どういうことかと言えば、今の世の中は、今の世の中である必然性というのは全くなくて、限られた少人数の人達が恣意的に作り上げたものだ、ということです。これは僕自身が、経験から学んだことでもあります。(日本の権力構造について --この世を動かす限られた人間と、その思想--)
この事実に意識的であることと意識的でないことは非常に重要な違いがあるように思います。今の自分を支える世界は突き詰めれば底が抜けていて、自分を支えるものは実は何もない。気づかぬ内に常に自立が要請されている環境で、それは逆に言えば自分の意志でデザイン、創りあげる可能性が拓かれた世界でもある、ということに意識的であるかどうか。しかし、この事実に自覚的でない人は、どこか「待ち」の姿勢があるように思います。生まれたら、幼稚園・保育園があって、小学校、中学校、高校、大学があって、そして、企業があって、企業が受け入れてくれたら、そこには仕事があって、仕事をうまくこなせばその先には輝かしい未来が待っている。企業内のヒエラルキーを極めれば誇らしげ。そんな訳ないんです。それはみずぼらしい現実を隠すために見せられた幻想の世界なんです。そして、幻想を食って、人は満足しているところがある。誰が東大を偉いと決めたんですか。そんな根拠、何もなくて、「誰か」が決めたことなんです。この「誰か」に人は踊らされている。もしかしたら、社会も踊らされている。
「3つの選択肢」
これが動画の中でうまく表現されています。「3つの選択肢のどれを選ぶのかは自由だが、その3つの選択肢は一体誰が作ったんだ?」これは日米構造協議に関する話の中で出てきた言葉です。この世の中の基本的な枠組みは、限られた少人数の人間--高級官僚・一部の議員など--によって決められ、作られていて、その枠組みの範囲の中で、自分たちは仮初めの自由を謳歌している。これが本当の姿だと思います。
歴史を知る意義について
僕が歴史が好きな理由もそこにあります。今あるものは、元々は何もないところから始まっていて、それが今日まで様々な人の努力によって作り込まれた経緯がある。その成り立ちを知れば、現実の幻想が解けて、自ら更に洗練・再設計できるようになる。そこに魅力を感じるからこそ、僕は歴史を重視します。しかも、限られた権力者と話をして感じたことは、逆説的ですが、彼らと自分達に本質的な違いはない、ということでした。自分と大物政治家。能力自体にそれほど大きな差がある訳ではないですし、集められる情報に、今の時代、それほど大きな違いがある訳でもありません。勉強・思考・行動。この3つを高速で行うことで、自分たちにもこの世の中を変えていける力がある、ということをその時感じました。だから、受け身でいては誰かの食い物になってしまいますし、もし本当に自分の人生を生きたいんだったら、自分の足で立って、懸命に努力する必要があるように思います。だって、そうしたら世界が拓ける機会に溢れた時代なんですから。
最後に、
少し想いがこもってしまいましたが、この「社会が抜けている状態」を知る、もしくは、意識できる状態は、それまでと全然違うと思います。僕自身は、一人で社会に投げ出されて、この世の中を作っているものは、何も必然性がなくて--誰も僕を守ってくれなくて--自分の頭で論理的に考えるしか、生きていく道はないんだなと実感したのがきっかけです。あの時は本当に絶望しましたし、寂しかったですね。
ではでは。