日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

日本の権力構造について --この世を動かす限られた人間と、その思想--

やはりこれは書き起こさなければいけないだろうなぁということを思って、こうしてひとまず筆をとっている。まとまっているわけではないので、バラバラと、雑記になる。

 

子供の頃の夢について

僕には昔から夢があった。これは、何かこう、無理矢理ひねくりだすように生み出した夢ではなく、本当に素直な気持ちから出ている夢である。だからこそ、隙も多いし、抽象的だし、何を言ってるんだというところも多い。ただ、その点について少し書いてみようと思う。

 

 

僕は幼少期を長く海外で過ごした。その影響もあって、日本への愛着心が強い。いや、今も強いかはわからない。ただ、当時は強かった。その原因となったのが、海外における日本語のテレビ事情である。当然のことだが、海外のテレビはその国の言語の番組が中心になり、日本語の番組というのは極端に少ない。その中でも唯一の日本語の番組というものがあり、それがNHKだった。NHKだけは受信料を払えば、海外からも見ることができた。ただ、日本で放送されているものとは微妙に違い、海外独自のNHKというものが存在する。そして、幼少期の僕は、現地の言葉がわからないので、やむを得ず、NHKばかりを見ていた。しかし、NHKは基本的にニュース番組が多く、しかも、海外版NHKはそれに拍車をかけてニュース番組が多いのだ。そのため、自然と見る番組はニュース番組が中心になる。当時の楽しみは、ニュースウォッチ9の新庄のインタビューだった。「今日はどんな言葉が飛び出るのだろう」とワクワクしながら見ていた。そして、次の日、友人をそれを元に一盛り上がりをするのだ。そんな生活を僕は送っていた。

 

そんなこんなで、僕はかなりのテレビっ子であり、当時見ていたテレビ番組に大きく影響を受けている。つまり、当時のニュースに影響を受けているのである。ここに僕の人格を作り上げた1つの要因があった。当時のニュース番組というのは--今もそうかもしれないが--日本経済に関するものが多く、しかも、批判的なニュースが多かった。日経平均株価指数がいくら下がったとか、どこそこのメーカーが大幅な赤字を記録した、とか。幼少期の僕は、それらの知らせに健全に憤りを感じていて--なんせ憧れの日本である。当時は帰りたくても帰れなかった。それくらい憧憬が強かったのだ。--しかも、その横でコメントをしている批評家に強く憤っていたのだ。「喋ってないで動けよ、バカ!」と。だからこそ、将来は当事者として日本経済を良くしていきたいし、というか、そもそもこの日本という国はどういう仕組みで動いているんだ?ということが気になり、政治学、政治哲学、経済学、経営学社会学、教育学、その他の読み物に触れ、様々な人と言葉を交わした。前者の夢は、恐らくこの先もずーっと僕から離れることはないのだろう。

 

そして、昨日、後者の夢が一応の形で叶ったのだ。

 

日本の権力構造について

昨日、--具体的には述べられないのだが--日本の主要産業を牛耳るポジションにいる方と2人で話す機会があった。そこで聞いたことが、自分の考えに大きな影響を与えることになった。結論から言えば、この世の中を動かしているのは、限られたポジションにいる一握りの人間であり、その背景にある思想であり、そして、以外に単純で、すぐに壊れてしまうものだった。その人が、右と言えば右になり、左と言えば左になる。それほど単純なもので、しかし、問題自体は難しく、何が正解かわからない中で、己の価値観と思想に基いて判断し、それが結果となって、現れる。書きながら思いついたため、適切な例か分からないが、それはまるで最高裁判所長官のようなものである。答えのない未知の問題に対して、誰にも頼ることなく、己の良心のみに従って判断を下し、それがすぐさま社会に膾炙する。僕が見た世界は、そんな空間だった。濃密な、1時間だった。

 

加えて感じたことは、この世の中には、世の行く末を決める、限られた空間があるということだった。空間と言っても、実際にそういう場所があるわけではなく、権力構造に触れることができる限られた人間同士の、個人的な人間関係を基盤にした緩いつながりであり、そこで飛び交う情報・意見、交わされる会話は、僕ら下々の者が触れること叶わないものであり、そうした情報ネットワークを元に、各自が各自の決定を下し、この世の行く末が決まる。--かつての政商などがわかりやすい--考えてみれば当たり前のことで、あるがままの姿で世の中が形成され、変化されるわけがなく、そこには必ず人為が介在し、人為を介在させることのできる人間が存在する。そして、彼らは大抵の場合、結びついているのである。権力を生む、空間構造が存在する。そこで行き交う情報は、外部に現れない、希少な情報であることはもちろん、何より、良質な情報を元に極めて優秀な頭脳を介して生み出された、珠玉の意見であり、僕らが考えもつかないような、高濃度の会話が行なわれる。つまり、持てるものは持てるもの同士、お互いの利益を増幅させるためにつながり、そして、僕らが決して追いつけない速度で加速度的に次元を上げていくのである。遥か及びもつかないような世界がこの世の中には存在する。そう感じた1時間だった。

 

思想の結実としての社会

つまり、この世の中を作っているのは、思想である。上記の限られた人間たちの思想はもちろん、僕ら多くの人の考え--思想--も、この世の在り方を様々な形で規定している。しかし、その思想の練度が、権力の座にいる次元の人は違う。平たく言えば、僕らが考えつくことは遥か昔に考えていて、そして、既に処理されているのである。僕らの何倍も高次元な水準で。だから、今ある社会は、基本的に、簡単な問題が既に処理尽くされた社会であり、今ある問題は、先人が魂込めて打ち込んでも解決できなかった問題なのである。それらを飲み込んで、その限られた人間たちは思考しているし、思考に裏付けられた思想を持っている。だから、語弊を恐れずに言えば、僕らは余計な心配をしなくてもいいのである。心配しなくていいから、黙って自分の道に打ち込み、自分なりの解を形にしてぶつければいい。きっと簡単にぶち壊される。そして、また直せばいい。この繰り返しの作業を通じて、徐々に考えが洗練され、「お。」と思わせられるような領域に辿り着くのだ。心配しなくていい、そんなことはもう考えてる。だから、黙って勉強しろと。必死で考えろと。できることは全てやれと。それでも、全然、足らないから。そういう世界がそこには広がっていた。

 

最後に、

だから、死ぬほど高速に努力を。それが1時間の会話を終えた時に僕が受け取ったメッセージだった。百戦錬磨の鬼ってのがいますよ。本当に国単位で仕事を考えている人達がいる。でも、負けるもんか。いつか食い込むんだ、そこに。この時期に、そうした次元に触れられたのは本当に幸運だった。そして、良い経験だった。頑張ろう。

 

ではでは。