日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

コミュニケーションスキルと幸福感の関係について

少し、告白をしよう。久しぶりの友人との濃密な日々は、実に楽しかった。しかし、この事実が逆に、コミュニケーションスキルが人間の幸福感を大きく左右するという、ある種残酷な現実を教えてくれることになった。
 
というのも、正直彼らとは、それまでそれほど仲が良くはなかった。それは、聞けば彼らも首肯する事実だろう。しかし、意識的にコミュニケーションスキルを高める努力をしてみたところ、その事態は変化を見せることになった。様々な経験を通じて、自分なりにコミュニケーションの取り方を少しずつ変えて調整し、多様な人と交流し、人との関係性の構築に一定期間意識的に取り組んでみたところ、久しぶりに対面した彼らとの関係は明らかに変化の兆しを見せ、図らずも自らのコミュニケーションスキルの高まりを実感することになったのだ。そして、その結果分かったことがいくつかある。

 

友人との数日で気づかされた事実

まず、コミュニケーションスキルを高めることで、より多くの人に囲まれ、それ自体が自分の幸福感を高めるということ。要は、話し上手で世話上手、性格も良ければ、周りに人が集まり、つながりを実感し、なんとなく幸福感に包まれる。そういうことだ。
 
次に、コミュニケーションスキルを高めることで、より多くの属性の人と関係性を築くことができるようになる、ということ。基本的にコミュニケーションは、自分と似た人間、同じような属性の人--同じ地域、同じ年代、同じ性別、似た価値観、似た経験--と取る方が容易である。つまり、コミュニケーションスキルを磨かない限り、コミュニケーションスキルは低く留まり、対話を行い、関係性を築ける範囲が圧倒的に限られ、数も少なく、柔軟性に劣り、少しでも異なる人間が混じった瞬間に、うまく話に溶け込めなくなる。要は世界が狭く閉じてしまうのだ。ところが、コミュニケーションスキルが高まると、多少の属性や志向の違いに、関係性を妨げられることなく、異なる集団や世界の境を容易に乗り越えていくことができる。世界はどんどん広がっていく。
 
この効用は実に大きく、まず、異なる属性の人達の交流は、発見も多く、楽しい。加えて、母集団に囚われず、多様な機会に参加できるようになるため、可能性が広がり、また、交流の幅が増える分、舞い込んでくる機会も増加する。他にも、異質な人の深いところまで入り込むことのできる、高等コミュニケーションは、自分とは異なる価値観・世界との出会いの扉を開放し、期せずして自分の価値観を再確認することになる。つまり、価値観が磨かれる。しかも、周りの人独特の思想と手法を知るのは非常に面白い。人は案外、それぞれの価値観や思想を確立しているもので、一方で、それを体現する行動体系を備えており、--別に地位も名誉も必要ない、安定した生活や豊かな家庭があれば十分、でも、心の底では出世できた方が嬉しいと考える、異常とも言えるほどの倹約家など--それらを学び取るのは示唆があるばかりか、それ自体が心躍る体験である。
 
以上に加えて、何より、交流の幅が広がることで所属するコミュニティが多元化し、それぞれのコミュニティで異なる自分が存在することで、精神的にも、社会的にも、安らかな心が手に入れられる。自然、穏やかな気持ちになる。ことほどさように、コミュニケーションスキルとは、人の幸福感を考える際、極めて重要な意味を持つ。
 

コミュニケーションスキルの現実

しかし、残酷なことに、コミュニケーションスキルは人によって優劣が大きく分かれるものであり、依然として体系化・理論化が難しいため、一部の人にとって改善が難しく、現状に甘んじなければいけない、という結論になりかねない。そして、だからこそ、--そんなこと言ったら元も子もないじゃないか、それじゃあ自分はどうしたらいいんだ、という気持ち--コミュニケーションスキルという曖昧模糊とした能力に対する言われのない批判が多く、しっかり対峙しようとする人が少ないのではないかと思う。人格否定、人間否定といった過酷な現実・仕打ちを避けたがるのだ。しかし、それでは本質的な解決は望めない。それこそがまさに残酷な仕打ちで、多くの人にとってコミュニケーションスキルは自分の人生を左右する非常に重要なファクターであり、その技能が自分の人生の豊かさや安寧に影響を与えるということを、早い内から伝えていく必要があるのではないか。もちろん、一部の専門職や最低限のスキルセットは必要であるという議論が成り立つように、例外は存在するが、仕事上でも仕事外でも関係なく大きな意味を持つコミュニケーションスキルの重要性は、まだまだ強調されてもいいように思える。とにかくコミュニケーションスキルへの投資は、ROIの高い、効果的な投資なのだ。
 

最後に、

自分がコミュニケーションという面で苦労した経験があったからこそ、逆に強くそう感じたのである。この点については、改めて他の人の意見も聞いてみたいと思う。
 
ではでは。