日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

ある日のちょっとした、覚書

昨今のサービスの潮流をあげれば、大きく消費と利用に区別されて、消費とはすなわち、生産的活動によって溜め込んだ富を、消化し、快楽を得ることを意味するわけです。すなわち、快楽のためにお金を払うと。僕は、そうではなく、結局、便利だから、これは自分でやるよりも(自分がかける時間*時給+精神的疲労)特定のサービスを購入した方が安上がりだぞ、と思わせるからこそ、合理的選択の下で、購入するようなものを生み出してきたい。

そして、それは必ず必要なものでないといけない。ある特定環境下の人が、さけて通れないような通例行事を、より効率的な方法で消化する、そんな人を助けるサービスを生み出していきたい。

その背景には、規模の経済、熟達(経験曲線・学習曲線)、生産性(全要素生産性・技術進歩)といった、価値のエンジンがあり、それを凝縮し、固形化、配布コストを著しく下げたものが、何かしらのプロダクトであると。結局、藤本先生の言葉を借りれば、製品というのは情報転写装置でしかない。ソフトウェアの世界だと。

だから、できることは簡単で、生活のリプレイスメントだと。結局、人の欲望というのは、それほど変わることはなく、今ない欲望を対象にしたサービスなんて成功する訳がない。今ある欲望を、より優れた方法で満たす。これが何かしらのサービスの基本構造になる。例えば、Gunosyは、毎日RSSフィードを更新して、twitterを初めとしたSNSをこまめにチェックして、情報収集に時間を費やす人に対して、レコメンドエンジンという方法で、その時間を圧倒的に短縮した。そして、その前は、新聞や雑誌、紙メディアだったのである。これは当然WWWとGoogleがリプレイスした。

そしてそして、今後情報がますます増えていくのであれば、データがますます増えていくのであれば、個人化の傾向に拍車がかかるのであれば、大量の情報を独自のアルゴリズムにあてがって、処理を自動化する、機械学習集合知、AI(人工知能)の裾野は広がるばかりだ。そして、この分野は幸運なことにも、不運なことにも、技術的障害は大きい。まだ誰も有効なAIについて、決定打を生み出せていない。だからこそ、知恵や人の介在する余地があり、その社会への橋渡しは、誰か人間が担う必要がある。

こちらにきて感じたことは、専門的バックボーンの投資回収率は異常だということ。非関連多角化の話でもそうだが、その知識、専門性が、基礎レベルに近ければ近いほど、あらゆる領域への応用が可能になり、その分初期投資コストは格段に安くなる。例えば、ブログを書くにしても、普段考えていることをまとめるだけで、立派なマーケティングツールになる。自分が知っていることを少し加工するだけで、立派な講演会が開ける。コンテンツになる。そんなところに価値を生み出してる訳ではないのに。つまり、自分の居場所を決めるというのは、何についても便利な戦略なのだ。

そして、これは僕の個人的考えになるが、究極的に、思考のニーズはなくならない。究極的には、思考(量)の削減が、人々の本質的ニーズになるのではないか。要は、「いちいち考えるのがめんどくさい」ということである。そういう意味でも、AIの領域は息が長い。そして、汎用性が高い。もう全て自動化・個人化だと。それを支えるハードウェアの話は誰かに任せるよ。