日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

歴史を振り返りながら考える、インターネットの可能性について

ここ最近、インターネットというものについて考えている。なぜかといえば、ここ最近の時代(僕)の関心事と言えばグローバル、雇用、IT、ベンチャー辺りになるのだが、この中でITだけがなぜか実感を持ってイメージが描けないのだ。もちろん興味はあり、自分でプログラミングもするのだが、本当の意味で問題意識や興味があるかと言われれば、他の3つにはやはり劣る。その輝かしい可能性は強く信じているのに。例えば、グローバル化。これは大事。単純に日本の市場のことを考えても、人口が減っていく今、国際市場に出ることは有効な手だと思う。しかも、国家の違いからくる断絶や新鮮な気づきに大きな魅力と困難があることも知っている。国が変わればルールも違うし、雰囲気も違い、それがまた楽しい。次に、雇用。この分野は自分自身の経験からその重要性を感じている。失業、キャリア、人々の自尊心。様々なキーファクターが絡む、自分の中でも大関心事だ。最後にベンチャー。自分自身ベンチャー経営者だったという側面もある。それ加えて、成長の止まった現代の日本経済において新産業の創出とそれを育むベンチャーシステムの誕生は急務だろう。しかし、IT。これだけは自分の中で未だに腹落ちしない。一体ITが今後の生活の何を変え、その変化に自分はいかなる形で関わるべきなのか。そこで今回、簡単にインターネットの歴史について調べてみた。そして、自分なりに解釈し、今後のことを考えてみた。少し書いてみる。

 

 

インターネットとは

インターネットとは元々ただの通信手法だった。1対1の通信手法の一つ、パケット通信でしかなかったものが、複数ネットワークの接続を企図して、それを可能にするプロトコルの開発を進められた結果誕生したのがインターネットであり、その前身であるアーパネット(ARPANET)であり、アーパネットによるプロトコル研究の末に誕生したのが今も続くTP/ICPプロトコルであった。これらの進歩を受けて、W3Cの(当時CERN所属)ティム・バーナーズ=リーがWWW(World Wide Web)を開発し、そこで利用されたハイパーリンク技術が、情報同士のつながりを円滑・強化し、それまで放射状だったインターネットをネットワーク状に解放することで、今のP2Pのスタイルの基礎を築いたことになる。 WWW完成後、様々な利用者が情報を発信するようになり、その流れは商業利用の認可と1995年のWindows'95発売を受けて一気に加速する。この煽りを受けて誕生したのがYahoo!であり、Yahoo!はディレクトリによって膨大な情報を整理した。しかし、ブログの誕生など、一般消費者が気軽に情報を発信できる環境が整い始めるとディレクトリを用いた整理手法に限界が生じ始め、そこで登場したのが、Googleであり、ページランクシステムを用いた検索エンジンだった。この日常利用に耐える検索エンジンの登場により、ただただ蓄積されるだけだったネット上の情報がアクセス・活用可能な形にインデックス処理され、多くの情報が世界中のインターネット利用者の手元に届けられることになった。そういう意味で、Googleのもたらした功績は偉大だったのだ。Googleが誕生したおかげで、ネット上に情報をあげればあげるほど、人は欲しい情報にアクセス可能になり、確率論的にも、貴重な機会にアクセスできるようになった。Amazonの登場によってフィーチャーされるようになったロングテール理論だが、インターネットにおいて、その理論は全てにおいて言えるのではないかと、個人的に考えている。これまで人の目に触れなかった些細な情報や活動が、ネット環境が構築され、誰もがネット環境に発信することが可能になり、その情報を整理するgoogleという優秀な整理屋が誕生したおかげで、それを必要とする限られた集団の人達に届けられるようになった。それほどの品質はいらない、発信費用を賄うほど十分な市場=人の数がいない情報でも、発信者・受信者双方によって、適度な品質と費用で発信可能になり、webという環境を介して、Amazonで見られたようなロングテール理論が成立する構造になっている。そして、これは情報に留まらず、あらゆる課題解決において言えるのではないかと考えている。その既に現れた代表的事例がクラウドソーシングであり、クラウドファンディング、他にもYahoo!知恵袋など、現状でも枚挙にいとまがない。僕はこの動きはより幅広い分野で加速するのではないかと考えている。そして、それによって組織の形態が変わり、人々の行動様式も変わり、様々な課題が解決されるのではないかと、密かに期待している。また、適正な品質で、適正な価格がつけられることで、プライシングも経済学理論通りの需給曲線に近づくのではないかと思っている。少しでも余剰品質、余剰価格があれば、それを発見した誰かに即座にその余剰を横取りされてしまうのだ。消費者にとっては嬉しいことだが、生産者にとってはシビアな環境になることになる。つまり、クラウド(群衆)によってゲリラ的に課題解決が行われるのが、ネット誕生後の世の中であり、それを可能にしたのは全てをつなげたハイパーリンクとWWW、そして、全ての情報を整理し尽くしたGoogleの所業なのである。

 

そして、そこに人間を組み込み、ネット世界に我々を本格的に引き込んだのがfacebookを初めとしたSNSだと考えている。facebookの登場まで一部の人を除いてネットは、外部にいながら情報を取得するために使うものだった。それがfacebookを初めとしたSNSの登場により、ネットはコミュニケーション空間、生活空間に様変わりした。僕はこれがSNSの貢献だと思う。だからこそ、今後はより幅広い領域がインターネット上に取り込まれ、現実世界のあらゆる事象がネット上に乗せられ、人々はアバターで行動するようになり、一つの電脳空間が出来上がるのではないかと考えている。現実世界と電脳空間がパラレルに存在するイメージだ。具体的には、summer warsに登場するO'zのイメージが近い。そのためには、全てのものをインターネットに接続し、ネット上のインフラを整え、そして、ネット空間特有のカルチャーを醸成することで、ネットの自立性を高める必要がある、と考える。そうすることで、今とは全く異なった未来の生活が待っていることになる。

 

インターネットを用いて

とにかくすべてをインターネットに接続し、すべてを検索・活用可能にする。その結果、いくらでも可能性が広がる。その後のことは、それから考えればいい。そういう時代に来ているのではないか。とにかく全ての生活・産業をインターネットに接続し、最適化し、効率的な利用を可能にし、全ての人が世界中のベストプラクティスにアクセスし、そして、インターネットの強みである個人へのエンパワー能力を活用し、各自の強みを活かし、恊働し、草の根的な活動を行い、多様なソリューションにより社会が姿を変えていく。

 

インターネットの魅力とは、個人のエンパワーであり、オープンアクセスであり、圧倒的に公平な活動・競争環境であり、それによる最善解の獲得である。それらはテクノロジーによって最適化に最適化を重ねられ、考えうる限り最も効率的で効果的な形態に収斂していくことになる、はずである。もちろん限界はあるけれど。そこでは個人のイマジネーションと論理的思考力、コミュニケーション力、そして、運動量(情報収集量)が勝敗を分ける。だって、PCさえあればできないことはほとんど何もなくなるんだから。デスクとPCさえあれば世界中の情報や人にアクセス可能だし、世界中の情報は各国の言語に翻訳されるし、できないことはほとんど何もなくなる。このエントリも、どこで書いても同じようなもの。だからこそ、個人の力、運動量と明晰さが大切になってくるのではないかと個人的に考えている。

 

最後に、

なんとなく、インターネットの輪郭が見えてきたような気もする。とにかく、アバター辺りの領域をもう少し調べてみよう。

 

ではでは。