日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

日本で挑戦すべきか、世界で挑戦すべきか

ここのところ、すごく悩んでいることがありました。それは自分は一体、世界で戦うべきなのだろうか、それとも、日本で戦うべきなのだろうか、ということです。というのも、憧れのシリコンバレーに移ってきて、いざ世界を、歴史を体感したはいいものの、そこには高い壁があり、そして何より、世界で挑戦すべき理由が見当たらなかったのです。

 

これは不思議な話で、「何を今更言っているんだ。理由なんてどうでもいいだろう。」という方もいらっしゃるかもしれませんが、自分の場合、恥ずかしい話、世界で挑戦するほどの明確なモチベーションやそれを支える理由が見当たらず、そして、それ抜きでは挑戦できないほど、僕にとって世界の壁は高かったのです。

 

僕は日本に関しては思い入れがあります。もっとこうしたいという想いもあります。ただ、世界に関していえば、これほどなじみのあるアメリカですら、たくさんの人々がいて、感情移入することが難しいのに、まだ見たことのない世界や国の人々に、何ができるだろうか、という気持ちをなかなか持つことができませんでした。

 

そうして悩んでいる時に、ある人と話をしました。「僕は今悩みを抱えている。日本で挑戦すべきか、世界で挑戦すべきかわからないんだ。頭では(世界の方がよいと)わかっているものの、それがなかなか自分事として腑に落ちない。」「一体、世界で挑戦している日本人はどういう気持ちで働いているのだろうか」と。そして、彼はある少しの言葉と、一つの記事を教えてくれました。「日本にいると、日本からシリコンバレーへ。だが、シリコンバレーにいると、シリコンバレーから未来へ、という考え方になる」と。

 

その時に教えてもらったのがこちらの記事です。

Yコンビネーター主催のイベントに参加してから、「たたかう」と「にげる」について考えるようになったという話」 naze/2013-11-06-y.md at gh-pages · chibicode/naze · GitHub

 

この時、雷が落ちたような気がしました。そうか、シリコンバレーにいる人は、何かわかりやすい目標があって挑戦しているわけではない。もう少し概念的な、本当の意味で更地に絵を描くような、創造的な活動に従事していると。Macintoshのある世界とない世界、Googleのある世界とない世界、Amazonのある世界とない世界、Facebookのある世界とない世界。そうした、ゼロイチの、本当の意味で世界を前進させるような、瀬戸際で物事を考えていると。(※1)根本的に考え方が違いました。考えてみたらそうです。僕は、アメリカ、香港、シンガポール、そして、日本も経験し、旅行好きだった両親のおかげで、様々な国を幼い頃に旅をしました。(両親は異常に旅が好きだったので、旅にばかりお金を使い、日頃の生活はとても質素なものでした。)きっと多くの人よりは、多くの国を目にして、きっと先にあげたような製品を生み出した人よりも、創業期には世界を目にしていたはずです。つまり、経験した/してない、見た/見てないの話ではないのです。それでは、何かといえば、それは普遍性。自分が最高だと思うものは、みんなも最高だと思うはずだと。人間、根本的な欲求はそう変わらんだろうと。確かに、自分が日本以外の国の企業が生み出した製品を身にまとって、特に何も思いません。純粋に、便利であり、時に自己表現にすらなり得ます。普遍的な価値というのは存在するのかもしれません。(※2)

 

そう考えると、確かにこれまでの自分の考えは微修正にとどまるもの、既存のあり方をひとまず所与のものとして、それをどう組み替えるか、改善するかということを考えてきたような気がします。(本人にその認識はなかったのですが。)そうではなくて、世の中全体をもう少し抽象度高くとらえて、もう少しシンプルに世の中の問題を問題としてとらえて、大きくその方向に、自分の中でイメージを持ちながら進んでいくことが大切なような気がします。自分の考え方は根本的に間違っていたと。違う線路を走っていたと。そういうことを自覚した瞬間でした。

 

ではでは。

 

※1:これらのサービスについて、前身のサービスがあり、今は名だたるサービスも、改善から始まったということは理解しています。ただ、今は今として、これらのサービスがない時代とある時代では違うだろうなということも感覚的に抱いています。なんとなくイメージは伝わるかと思います。

 

※2:国際経営的には、基本的にはグローバル製品というものは、ごく稀にしか存在しない(コカ・コーラなど。コカ・コーラも各国・地域ごとに味・風味を変えてますが。)ということは理解しています。ただ、そのレイヤーを超えて、ものの考え方として、製品の基本コンセプト、人の欲求に関わる部分は、案外そんな変わらないものもあるんじゃないか、そんな気もしています。