渦中にいること、傍から眺めること
この記事を読んでいて思ったことを。
今回のエントリはだいぶ短く終わります。
らいおんの隠れ家 : ポール・グレアム「Googleがいくつも生まれない理由」 - livedoor Blog(ブログ)
多くの意見や考え、そして、理論
多くの意見は当事者以外の人が過去を振り返る形で作られるなぁ、と。現場の、リアルタイムで内面まで含んだレポートってあまりないですよね。
渦中にいる人がレポートする余裕はありませんし、当事者が伝える内容は、かなり主観的で、視点も偏り、良い文章になりにくいという理由もあると思います。
ただ、その弊害もあるかもしれないよなぁ、というのが今回のエントリの内容です。
そんな平らな道のりじゃない
まず、他人が過去を振り返りながらまとめる弊害の一つは、過度に抽象化した結果、それほど当り障りのない、理路整然とした話になりがち、ということだと思います。
これが顕著に現れたのが、ホンダが北米進出した際の、BCGによる考察と現場の実際の考え方がズレていた例です。
以前、ホンダがアメリカの市場の進出した際に、ホンダの「日本での」主力製品、スーパーカブを持ち込み、一大旋風を巻き起こした話についての考察です。
BCGは、ハーレダビッドソンなど、排気量がとても多く、バリバリの大型バイクが席巻するアメリカ自動二輪車市場に、ホンダが低価格戦略を活用することで新たな市場を開拓する、という一貫した戦略によって成功を収めたと分析するのですが、実際の当事者にはそんな明確な戦略はなかったという話です。興味がある人はこの論文を読んでみてください。
Pascale, R.T. (1984). Perspectives on strategy: The real story behind Honda’s success.
California Management Review, 26(3), 47-72.
もちろん理論化自体には大きな意味が意味があるのですが、切り捨てられる部分も案外実務家には重要だったりするんですね。思いもよらない失敗事例とか、当事者の心理状態とか、候補にはあがったけれども採用されなかった案とか、その却下理由とか。
渦中にいること
現場ってもっと動的で、複雑で、感情的で、意味不明で、すごくヒューマン・ドラマにあふれる場所だと思うんですよね。
ただ、そういった事態を体験している最中は、自分が置かれている状況を俯瞰して眺めたり、誰かに伝えようとはあまりしないし、できないんだと思うんです。
その魑魅魍魎とした、全体像が見えず混沌とした何物かを、下手に抽象化したりせず、一つ一つ綴り続けてもらえると、同じ経験ができない人やこれから同じ経験をする人には、精神的支えにも視界が開ける大きな材料にもなるはずなんです。
一般に思われているイメージとは、案外違うよって話が、もっと表に出てくるといいなぁ、と思ったりします。
最後に、
とはいえ、twitterとか、ブログ、はてなの活況で、これまで発信されずに埋もれてきたたくさんのエピソードが、人目に触れる環境が整ってきたなぁ、とも思っています。
その一つ一つがすごく参考になるはずなので、自分の思いがけない言葉が誰かの支えになっていると考えて、皆が少しずつ経験を共有してくれればいいなと、思う次第です。
ではでは。