日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

シリコンバレーとは一体どのようなところなのか。 --現実と印象の乖離について--

アメリカに移り、約1ヶ月が経とうとしている。以前書いたエントリでは、サンフランシスコの会社に務めることになっていたが、渡米早々、そこを移り、今はシリコンバレーど真ん中、サンノゼの少し西、サニーベールという地域にあるスタートアップで働いている。やはりアメリカ西海岸とは言っても、サンフランシスコとシリコンバレー地域は微妙に違い、シリコンバレーにはシリコンバレーの雰囲気がある。そして、いわゆるベンチャー企業とスタートアップ企業も微妙に異なり、スタートアップにはスタートアップの雰囲気とスタイルがある。今の会社はシリコンバレーでも有名な投資集団、500starupsから投資を受けている企業で、VC-backedと呼ばれる正統派スタートアップだ。そこで見えてくるものはやはり大きく、これまでの経験と照らしあわせて、思うところも多い。今回はそういうところを、何回かに分けて、書き綴っていきたいと思う。

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スーパーエンジェル

アメリカにはスーパーエンジェルと呼ばれる投資集団がいる。彼らはその投資手法からシードアクセラレーターと区分され、中でもその始祖であるY Conbinatorと500startupsの名前はシリコンバレー地域に広く響きわたっている。彼らの投資手法はそれまでの通常の投資手法と異なり、小口の投資を数多くの企業に対して行う点が特徴である。アメリカでスタートアップに投資する場合、投資が成功した際のリターンの大きさは計り知れない。(GoogleFacebookがかつてはスタートアップだったことを考えてみて欲しい)そのため、数多くの投資を行っても、その中の1つでも芽が出れば、お釣りが返ってくるという、そういう算段である。一つ一つの投資額も少額なため、期待値的には妥当な投資と、こういうわけだ。それにポール・グレアムという伝説的な投資家が付き添い、教え導き、成功確度をあげていく。それ以外にも様々な仕組みがあるが、基本的な構図はこのようになっている。スタートアップへのシード期の投資という極めてリスクの高い投資に対して、小口分散投資という新たな投資手法を開発し、リスクを軽減させる傍ら、スタートアップへの集中的な教育的投資を行うことで、成功確度も高めていくという二段構えの投資スキームが功を奏した。そうして生まれた代表的企業にドリュー・ハウストンが生み出したDropboxが存在する。

 

シリコンバレーの実際像

シリコンバレーとは南はサンノゼから北はサンマテオまで海岸沿いに緩やかに連なる地域のことを表す。元はスタンフォード大学の無線通信学者だったフレデリック・ターマンがヒューレッド・パッカードの創業者であるウィリアム・ヒューレッドとデービッド・パッカードにその地での起業を勧め、地域振興の一環策として誕生したものだ。その後、本格的に企業誘致を進め、大学内の一地域にアメリカ中から企業を呼び込み、その中に後のシリコンバレー本格発祥につながる、ショックレー研究所が含まれていた。ショックレー研究所の所長であるウィリアム・ショックレートランジスタの発明者であり、アメリカ中から優秀な若者を自ら直接呼び集めた。学生にとって神にも等しい存在であるショックレーから直接電話をもらった学生たちは即座にショックレーの元に集結し、ショックレー研究所が発足した。ショックレー研究所の目的は、ショックレーが発明したトランジスタの商用化であり、そのためにアメリカ各地から精鋭が集められたことになる。しかし、ショックレー、人格的に問題がある人物だったらしく、彼ら若者たちが離散してしまう。彼らは新たに自ら研究所を設立し始め、その中にフェアチャイルドセミコンダクターが含まれていた。フェアチャイルドセミコンダクターではトランジスタの商用化に初めてシリコンを用いて成功し、それが「シリコンの谷」、シリコンバレーの名前の由来になる。このフェアチャイルドセミコンダクター、後のインテルにつながる研究所である。こうして一人の夢ある学者の構想から始まった計画は、様々な意図を含んだ偶然が重なり、徐々に花開いていくわけである。その後、IBMApple、そして、Microsoftと、現在の礎を築くような数々の企業が誕生し、後は皆が知るとおりである。

 

こうして誕生したシリコンバレーイノベーションの産地として、今も世界中の若者に夢と希望を与え、世界中から挑戦者が集まる、テクノロジーのホットスポット。そのホットスポットにもう少し深く切り込んでいこうと思う。果たしてシリコンバレーは本当に、"シリコンバレー"なんだろうか。

 

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シリコンバレーシリコンバレー。でも…

結論から言おう。結論から言えばシリコンバレーシリコンバレーであった。皆が想像する通り、皆が自分が世界を変えるという気概を持ち、自分の成功を信じて疑わない。信じて疑わないと言えば嘘になるが、それでもそれに似たマインドを持っていることは事実である。その辺の話はまた次のエントリに譲ろう。しかし、それだけではまだシリコンバレーの本当の姿を理解したことにはならない。そうした普段語られない部分の話について、今回は書いていく。

 

まず、シリコンバレーには3種類の人物がいる。一つ目は、ただシリコンバレー地域に住んでいる人。2つ目は語学学校や現地の大学に通っている人。3つ目はスタートアップに関わっている人。本当の意味でシリコンバレーのことを考えるのであれば、実はシリコンバレーに所属している人というのは3つ目のカテゴリーの人しか当てはまらない。シリコンバレーとは言っても、当たり前の話であるが、シリコンバレーの地域に普通に暮らしている人達もいる。彼らはそのほとんどがアジア系かヒスパニック系であり、中国人やインド人、そして、メキシコ、スペイン人が多い。日中、驚くほど英語を聞く機会が少ない。彼らはいわゆるスタートアップの話も知らなければ、それに興味を抱くことも少ない。普通の家庭と何ら変わらない、ただただ日常が、そこには広がっている。次に、語学学校や現地の学校に通っている人達である。彼らは語学の習得が目的であったり、大学での勉強が目的になるため、必ずしもスタートアップの類に関心があるわけではない。中にはスタートアップに関心がある人もいるかもしれないが、それはごく一部であり、全員が全員興味あるわけではない。彼らはやはりスタートアップ人と違い、異なる価値観を持ち、異なる価値観に基づいた異なる人生の軌跡を描こうとする。ともに生活するが、交わることは、少ない。そうした事実を日常のふとした時に、けれども確かに、感じる。それでは、どういう人がシリコンバレーのイメージを形作っているのかといえば、3つ目のスタートアップに関わる人達である。そして、彼らがどこから来ているのかといえば、これは実は世界中から来ているのである。世界中の起業家が、そして、起業家志望が、スタートアップの聖地、シリコンバレーに集まってくる。彼らがスタートアップのマインドを持ち、シリコンバレーが代々受け継いできたDNAを享受し、彼らがそれを再生産させる形で、ここシリコンバレーの文化・風習が強化されていくのである。実際いわゆるアメリカ人の起業はそこまで多くはない。例えば、Yahoo!も起業したのは中国系ジェリー・ヤンである。そして、実際中国・インドの起業家は多い。いずれにせよ、シリコンバレーを形作っているのは、スタートアップに関わる人達であり、それはアメリカ人ではなく、世界中の志ある起業家達なのである、ということを、実際にこちらに来て、そして、シリコンバレーのど真ん中で働いてみて感じた。もし、シリコンバレーに興味があるのなら、そういう人達と話し、そして、その中に入っていかないとシリコンバレーの風には触れられない。そう感じたのだ。

 

最後に、

今回のエントリでは、シリコンバレーの実態像に迫る形で、シリコンバレーに住む人達、とりわけ、いわゆるシリコンバレーで活動する人達はどういう人間なのかということを書いてみた。今後は彼らがどういう人達でどのように働き、そして、それが日本の会社、日本のスタートアップとどのように異なり、なぜ異なるのか、それがどのような結果につながっているのかということを、個人の体験と感想を交えながら書いてみたいと思う。

 

ではでは。