日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

シリコンバレーの歴史1(覚え書き)

ちょっと覚え書き程度に書きます。シリコンバレー(の歴史)について。シリコンバレー、様々な伝説が一人歩きしていますが、その実際の歴史とはどんなものだったのか、ということについて。

 

初めは一人の学者の構想から

まず、シリコンバレーはフレデリック・ターマンというスタンフォードの無線学者の発案から始まります。彼はスタンフォードで優秀だった二人の青年、ウィリアム・ヒューレットとデビット・パッカードに声をかけ、わざわざ卒業しないで、ここでそのまま事業を始めたらどうかという話をもちかけます。ただ、その時は、「いやいや、先生、そうはいっても」と断るのですが、結局、ヒューレットはMITに行き、パッカードはGEに行くんです。ただ、その後戻ってくる。戦争などの関係で文字通り軍資金を手に入れられた彼らには余裕があった。それに対してターマン教授は、大学のものを使っていいからと、スタンフォード周辺での創業を勧めた。これがシリコンバレーの走りですね。今でも彼らが創業したガレージには記念碑が立っています。実はこれには少し別の側面が存在していて、アメリカ西海岸というのは、東海岸に比べて発展が遅れていた。言ってしまえば遥かに田舎だったんです。--東海岸にはワシントンもあればニューヨークもありますから--そこで、昔から企業誘致・地域振興施策は活発で、元々スタンフォードの成り立ちもそういうところがありました。

 

シリコンバレーの始まり

そして、この体験を受けて、ターマン教授は本格的に企業誘致に乗り出します。そこで構想されたのがスタンフォード・リサーチ・パークです。スタンフォードには広大な土地がありますから、そこを安く貸し出して、たくさんの会社を誘致する、と。そういうことをやろうとしていました。そこで、集まった企業の一つにショックレー研究所があります。ショックレー研究所の所長のウィリアム・ショックレートランジスタの発明者で(正式にはちょっと違うのですが)、ノーベル物理学賞も受賞しています。彼は学生からしたら神様みたいな存在で、自分が発表した論文、すなわち、トランジスタを商業用に展開していきたいということを考えます。そして、できたのがショックレー研究所です。ただ、彼は人格的に問題があったらしく、元々のベル研究所からは誰も人がついてこなかった。そこで、彼は全米から優秀な若者を自ら探し上げ、直接電話し、リクルーティングしていった、と。これが後に「8人の反逆者」として有名になる8人の若者でした。

 

しかし、ショックレー、やはりバッドマネージャーでしたので、すぐに弟子達が離脱していきます。彼ら8人はショックレー研究所を抜け出し--だから、「8人の反逆者」--フェアチャイルドセミコンダクターを設立します。これが後のインテルにつながります。インテル創業者のロバート・ノイスゴードン・ムーアも8人の反逆者の中に含まれていました。ちなみに、クレイナー&パーキンズのクレイナーもいました。セコイアキャオピタルと双璧を成す、アメリカの超有名VCファームですね。そして、このフェアチャイルドセミコンダクターで、シリコンを用いた実用的なトランジスタが発明されます。だから、"シリコン"バレー。今では、GoogleYahoo!など、ネット系の企業が増えていますが、初めはシリコン=ハードがメインだったんですね。ここら辺にPARC(Palo Alt Research Center)やらAppleやら絡んでくるのですが、続きはまた今度に回します。

 

ではでは、