社会事業はなぜマネタイズが難しいのか --お金を稼ぐ必要はどこまであるのか、一考察--
先日、知人の経営者と社会事業のマネタイズの難しさについて話していて、その活動自体で十分な額の利益を稼ぐことは難しいのではないか、という結論に至って以来、お金を稼ぐことやビジネスとは何かということについて考え、未だに答えが出ずにいます。どういうことかと言えば、何か問題を解決しようとする時、敢えてビジネスというアプローチで課題解決を志さなくてもいいのではないか、別の言葉で言い換えれば、問題解決さえできれば収入源は別にあってもいいのではないか、単純に「良いこと」をしてそれがビジネスとして成功しなくても大きな問題はないのではないか、より踏み込んで言えば、起業等の手段を通じて課題解決を図る必要性は必ずしもないのではないか、という問いが首をもたげてきたのです。
そこで、ここで一旦ビジネスとは何か、そして、課題解決とビジネスはいかなる関係にあるのか、更に、今後自分が行動していく上でどのようなアプローチが有効なのかということを整理して、考えてみたいと思っています。
なぜ稼がなければいけないか、どれくらい稼がなければいけないか
まず、本業をやりながら余剰の時間や資金を使って、何かしらの「良いこと」をすることは可能なのでしょうか。極論、というより論理的に考えれば、現状の生活を維持できる収入さえ確保できれば、それ以外の時間は自由に過ごしていいことになります。それでは、どれくらいの収入が必要なのかと言えば、家賃、光熱費、生活費、突発的な大規模出費、そして、少しの贅沢を考慮すれば、現役世代の内は月30万円くらいあれば基本的に不自由なく生活できるのではないかと思っています。これは「生活できる」というレベルではなく、「時々贅沢するし、友達と遊びに行くし、貯金もして、割と気ままに生きることができる」というレベルの収入です。そして、これを週4日働いて稼ごうとすると、1日に2万円強、結構高収入ですが、頭を使う付加価値の高い仕事を生み出すことができれば、不可能な数字ではなさそうです。なので、少し頑張って、誰もができるわけではない知的な仕事を週に4日、高品質で行うことができれば、週に3日くらい別の活動に当てることができそうです。講演とかできるレベルになれば、それくらいになるのでしょうか。わかりません。
なぜ「良いこと」はお金にならないのか
しかし、ここで疑問に思うのは、「良いこと」はなぜ仕事--というより、お金--にならないのか、ということです。ここで改めてビジネスの本質について考えてみると、ビジネス--要は、商売--の本質は、顧客に価値を提供し、その対価--報酬--を受け取る一連の営みであると考えられます。しかし、いわゆるNPO等が行う「良いこと」も活動に資本を投下してますし、その活動から価値を生み出しています。一体ビジネスと何が違うのでしょうか。
個人的に考えられる要因は以下の3点です。
1.顧客のニーズから外れている--誰もそんなもの望んでいない--
2.金を払うほど品質が高くない
3.顧客に料金に対する支払い能力がない
そして、いずれも理由になり得るのではないかと思っています。
まず、顧客ニーズについてですが、こうした「良いこと」は概して「社会」とか、「あるべき姿」とか、抽象的な言葉が並びます。しかし、じゃあ一体どこの誰が何に困っていて助けを必要としているのかというと、途端にあやふやになってしまうケースが結構あります。反省を込めて自分のケースを事例にしてみると、例えば、今後雇用は流動化した方がいいという「社会のあるべき姿」を定義したときに、現状どこの誰が困っているのか、という話になります。具体的には、早期退職を促された4,50年代の男性が転職先を見つけられずに困っている、というようにブレークダウンできると思います。しかし、これでもまだまだブレークダウンできて、それでは、転職活動を行う時間がないのか、転職先の情報がないのか、転職先の情報はあるけど応募条件を満たしていないのかという話になります。こうなると、転職活動の時間については、転職活動を一部代行してくれるサービス、つまり、エージェントを活用した転職サービスになり、転職活動の情報については転職情報を掲載したメディア事業、応募条件については各種研修などと言ったように、実はビジネスとして成立したり、現状既にビジネスになっていたりするというケースが、ままあるように思います。
大切なのは、課題--困っていること--を具体化させることと、それに対するソリューション--提供価値--そして、受益者--対価を払う人--を明確にすること、できればターゲット--受益者--を固有名詞に絞り、直接ヒアリングを行うなどしてニーズの存在を確かめた方がいいと思います。その後、その個別のニーズが、どれほど一般的なのか、ニーズ調査をする、といった流れになるかと思います。
次に、品質についてですが、例えば自分がかつて関わったり実際に目にした事例で言うと、皆本業がありながら、ある種片手間で活動に従事しているため、十分な時間がかけられていなかったり、全く仕組み化が進まず、品質が担保されないという惨状が多々見られました。つまり、ターゲットは明確だし、ターゲットは確かに困っているけれども、わざわざお金を払うほどのものを作り出せていない。こういった事例もあると思います。
最後に、支払い能力についてですが、社会的事業と呼ばれる場合、時に対象が社会的に不利な条件におかれているケースがあります。具体的には、自分のケースで言うと、対象が高校生など、独自の収入源がない集団を対象にした場合。この場合、支払い能力がないため、こちらが持ち出しでセミナーを開いたり、企画を開催する必要があります。他にも、生活保護を受けられないシングルマザーなど、極めて困窮しているにも関わらず、サービスを受けることができないという層は、確かに存在しているのではないかと思います。その場合、ビジネスモデルの組み替え--受益者を高校生ではなく、親などの保護者であると考え、保護者への提供価値や保護者から報酬を受け取るビジネスモデルを考え直す--や投資回収スキームの転換--支払い能力がない時期には赤字、支払い能力をつけた後、彼らから報酬を回収する方法を考えるなど--によって採算が取れる事業に転換させるなどの手段が考えられるのかなと個人的に考えています。個人的には新たなビジネスモデルとそれに付随するサービスを開発することで対応していきたいと考えていますが、それも難しい場合がたくさんありそうです。その場合は、じゃあ誰が持ち出すのかという話になり、ここら辺が自分の今後のキャリア観、そして、人生観に関わってくるので、次回のエントリに回そうと思います。
最後に、
個人的に今回画期的だったのは、受益者は誰か、彼らに何を提供しているのか、そして、彼らから何を受け取っているのかという問い、というよりフレームワークを発見したことでした。そう考えると、受益者が明確ではない、もしくは、実在しない、そして、提供しているものに十分な価値がない、更に価値を提供しているのになあなあの関係になってしまい、適切な報酬を受け取れていない--お人好しの心のつけ込んで料金をもらわないパターン。料金設定の裏に、投入費用と適切な利益率から算出された論理的な背景があれば事態は全然変わるのではないかと思っています。えいや!で決めるのではなくて--という特定のパターンに収斂していくことがわかったからです。このフレームワークを利用して、またいくつかプチ事業計画を練ってみようと思います。続きはまた書きます。
ではでは。