日々の気付きと時々、振り返り

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藤田晋『起業家』を読んで --耐えられない経営者の孤独--

先日読み終えた、『渋谷ではたらく社長の告白』の続編、藤田晋氏の『起業家』を読んでみた。その読後感というか、読んでみて特に印象的だった部分、それに対する自分の思いを書いてみようと思う。

 

起業家

起業家

 

 

 

本著作の、特に後半で強調されるのが、筆者の中の負の感情である。やはり経営者として厳しい局面に耐え、というのは、様々な重圧がのしかかり、その精神的負荷たるや、創造に絶するほどである。その中でも特に強調されていたのが、孤独である。経営者が孤独という話は、よく聞く話だが、ここで強調されていたのが、成功すれば成功するほど、同じ頃に周りの経営者が競争から離脱してき、徐々に孤独が深まる、という点である。

 

この点について自分の身に置き換えて考えてみると、確かに自分が走れば走るほど、周りが離れていった記憶がある。自分の場合、周りの経営者が、というわけではなかったが、同じ志を共有した仲間が、徐々に業務の苛烈さに耐え切れず、離脱という経験は、何度かあった。それは確かに、つらい経験だった。それを延長して考えてみると、藤田氏のような孤独に耐え忍ぶことができるかという問いに対する答えは、否と言わざるをえない。正直、自分には藤田氏のような孤独に耐えきれる気がしないし、それほどの犠牲を払ってまで経営者を務めたいとは思えない。それではどうするか。

 

この世の現実を知らない青二才だからこういうことを言えるのかもしれないが、藤田氏に欠けていたのは、社会に対する目、というより自分が生み出すサービスを享受する人との関係性作りなのではないか。要は、一体自分は何のためにこんなことをやっているのだろうか、という問いに直面した時に、「自分は◯◯の人達の力になるためにこうして頑張っているんだ。彼ら/彼女らの笑顔を見たいがために毎日歯を食いしばっている。」という答えを返せるかどうかが、その人の強さを決めるのではないか。少なくとも、自分は藤田氏ほど強い人間ではないため、こうしたリーダーシップの在り方、経営の手法があり得るのではないか、ということを考えている。「社会と仲の良い社長」「顧客とコミュニケーションの取れる社長」「良き盟友としての社長」そういう経営者がいてもいいのではないか。幻想かも知れないが。

 

余談だが、Evernoteのプロモーション手法、経営哲学には、ここで自分が書いたような考え方が反映されている。その辺りも時間があれば書いてみたいと思う。

 

ではでは。