日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

成長を前提にしている日本経済の構造 --そこで求められる能力とは--

日本経済について振り返る機会があり、確かにこれは日本経済だめかもしれないぁ、でも、それも案外仕方のないことだなぁと思ったのでまとめてみます。

 

本当にあらゆる制度が成長を前提にしている

新聞の論評などで、日本経済は高度経済成長期に形成された構造から抜けだせず、様々な制度が毎年経済が成長することを前提に作られているため、既に制度疲労を起こしており、改革が必要であるという意見を時々目にします。実際にそういう意見を耳にすることは多いのですが、なるほどなぁと納得する反面、時々本当にそうなのかな、と疑問に思う時もありました。しかし、実際に日本経済の歴史を振り返ってみて抱いた感想は「本当にあらゆる制度が成長を前提にしているんだな」というものでした。

 

 

成長を前提にしている具体的な制度群

まず、有名所では、年金制度がその代表例です。実は年金には賦課方式と積立方式の2種類の方法があり、日本は賦課方式を採用しているのですが、この賦課方式は現役世代、要は労働人口の増加を前提に採用された制度です。どういうことかと言えば、賦課方式では財源となるのは、全労働人口が定期的に払う年金で、その年金全体を一様にプールしたものが年金受給者に提供される年金の財源になります。要は、労働人口が増えれば増えるほど、年金の財源に余裕が生まれる構造になっています。ただ、逆に言えば、労働人口が減少に回った時には、年金受給者に比べて労働人口が少なくなるため、財源が不足するという事態に陥ります。これが今の日本が直面している状況です。一方、積立方式というのは、各自が将来の自分の年金のために、毎年一定額を積み立てて、年金を受給する年齢になった時には積み立てた財源から毎年一定額を受給する、ということになります。要は、お金を自分で管理すると将来の分まで使ってしまうから代わりに管理してもらうというのが積立方式、ということです。つまり、積立方式にした途端、年金の問題は一気に解決します。じゃあ、なんで積立方式にしないの、賦課方式にしなかったの、という話は長くなるので、興味があれば各自調べてみてください。事程左様に、年金も、人口成長を前提にした制度になっています。

 

というより、そもそも社会保障制度自体が成長を前提にした制度として成立しています。社会保障制度自体、社会的弱者に対して追加的な保障を行うために用意されたもので、そのための財源を必要とする制度ですが、高度経済成長期には毎年の経済成長にともなって税収も増加し、毎年余剰財源が創出される構造が存在しました。しかし、経済成長が鈍化した途端、税収の伸びも鈍化してしまい、新しい資金が手に入らない状態になってしまいました。その一方、人口構成的にも社会保障費は膨らみ続け、効果的な対策が未だ打てていない状態に陥ってしまっています。更に、日本の経済状態を改善するための財政政策自体も、経済成長を前提にした、あるいは、経済が成長する可能性を十分に残した前提に立脚して、行なわれてきました。今でこそ、赤字国債発行は当たり前ですが、昔は赤字国債発行に強い抵抗があり、特に福田内閣の時には財政出動が必要にも関わらず、国債比率を高めないために財政出動が控えられるということすらありました。しかし、それでも、財政出動が行なわれた時には、一定の効果が見られ、また安定した成長に戻る、というパターンを繰り返していました。それが現代に近づくにつれて財政政策があまり効果を示さなくなり、ただただ赤字が累積するという事態に陥りました。こうなると、既に赤字が累積しているため、追加策が打てず、中途半端に財政出動してもあまり効果がない、というジリ貧状態に陥ってしまいます。これが財政政策に限定されていればいいものの、ご存知のように、金融政策でも同じことが言えるため、今の日本経済は非常に苦しい状態にあると言えます。金融政策の肝は、金利の操作--景気が良ければ金利を高くし、経済を引き締め、景気に陰りが見えれば金利を低めて、経済を緩和する--ですが、今の日本は既にゼロ金利で、金利を低下させる余地がありません。そのため、打てる策も限られてしまい、例えばインフレターゲットなど、金利操作に頼らない、非伝統的金融政策という手法頼らざるを得ない状態になっています。つまり、ある程度、インフレ状態にないと、何も打つ手が無い、という状態に陥ってしまう、ということです。

 

なぜ日本の成長が鈍化したのか、そして、その問題とは

以上見てきたように、日本の経済制度は、基本的に成長を前提にしています。それが故に、成長が鈍化した今の日本経済は、様々な問題を抱えていると言えるでしょう。それでは、なぜ、日本経済の成長が鈍ったのかと言えば、単純に、成長することが難しくなったのではないか、というのが僕の答えです。要は、これまでは欧米諸国を真似していればよかったものの、ついに自分の頭で考えて前進しなければならなくなり、成長することの難易度が上がったのではないか、ということです。ここに無自覚であるがために、同じように対応し、同じような期待値を持った結果、成長が見られない、という事態に陥ってしまっている、ということです。難易度が上がったのであれば、方法を変えるか、より努力するか、その2つしか取りうる対応はありません。

 

そして、そもそも--これが一番伝えたかったことですが--日本経済は、新しい自体に直面した時に、能力を構築し直すという能力を備えていないと思います。常に余裕がなく、微々たる改善しかできないために、これといった進展が見られず、緩やかに死んでいく。これが今の日本の構図だと思います。これが企業の場合、人員削減等、合理化を進め、改革案を制作し、危機感を持って事に当たります。ただ、今の日本はまず余剰を生み出す取り組み自体が見られていない印象を受けます。

 

そのため、基本的に今の日本経済は成長を前提にしている、そして、様々な対応策も余裕がなければ効果が出ず、策すら打てなくなった時は、ただ衰退するのを見守るしかないということを自覚し、新たな事態に直面した際には、それまでの能力を一度見直し、新たに能力を構築し直す仕組みを設ける必要があるのではないかと思います。

 

あぁ、成長が止まると、対応策すらも打てなくなるのか、という点が衝撃的だったので書いてみました。少し書き方を変えたら長くなってしまいました。徐々に改善してみようと思います。

 

ではでは。