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レーガン自伝に見る、日米の国家観の違い --演説の申し子の書き味とは--

レーガン自伝を読んでいてはっとさせられました。彼の語り口から受けた印象を書いてみます。

 

An American Life

An American Life

 

 

 

彼の自伝は、冷戦、ゴルバチョフとの対談の様子から始まります。まず、それが一番初めに印象的でした。僕にとってレーガンとはあくまで新自由主義者の急先鋒であり、レーガノミクスの実験者でした。しかし、その本当の姿はあくまでアメリカ大統領であり、当時の最大の関心事は冷戦の解決だったということです。

 

国家観

これにはいくつか興味深い要素が表れていると思います。まず、国家に対する意識、他国と対峙する心づもり。自分は国家の代表者であり、国を守り、国の利益を守るために、他国との対話に赴く、という姿勢を強く感じます。個人的な所感ですが、日本の場合は、特定の論点に対して着地点を見出すために、議論をしにいくという印象を受けますが、アメリカの場合はそれ以上に--脅迫--国家のブランディングのため、国家の威信を誇示するため、訪問するという印象を受けます。議論、というよりはリーダーシップ。相手国を飲み込み、そして、追随させる力強さがあります。根源的にリーダーの素養を備えている国だと感じた次第です。

 

信念と軍事力

次に、公式の軍事力を備えている意義と影響について。やはり軍事力が後ろに控えていると、信念を浸透させる強い意志に、説得力と現実味が増します。日本の場合は、現実的な解決を目指し、相手と自分の利害を考慮した結果、効用が最大化される結論を模索する印象を受けますが、アメリカの場合は、常に頭の中に理想状態のイメージがあり、そこに向けて一直線に突き進む印象を受けます。思想・哲学・理念・信念。これが確固としている、というのはもちろんですが、そこに軍事力--理念を現実のものにする有無を言わせない強大な力--が絡むことで、その姿勢がよりリアルなイメージを伴って浮き上がってきます。

 

アメリカ大統領

最後に、アメリカ大統領の立ち位置について。アメリカ大統領はやはり、あくまでアメリカ国民のリーダーであり、アメリカ国民の代表者であり、そして、アメリカ国民は本当に合衆国のことが好きなんだなと思いました。レーガン、彼の語り口からは、国民に直接語りかけている思いをいよいよ強くし、そして、彼の思い、その背景にある信条は、非常に国民のものに近い、言ってしまえば、国民と同じ地平に立って思考している印象をすごく与えるのです。日本の首相は、国会議員で、やはり国民からの距離が遠い。どちらかと言うと、国会や政党と会話している印象を受ける。それが、レーガンの場合、アメリカという1つのチームのリーダを担っている、そんな印象を受けます。そして、何より、レーガンの言葉に強烈な支持を示すアメリカ国民の姿が、文面をなぞりながら、まざまざと描き出されたのです。彼らは本当にアメリカが好きで、アメリカという国に誇りを持っていて、どれだけ国内が二分されようが、この国を愛している、という点では分裂し得ないんだろうな、という思いを強くしました。アメリカはやはり、アメリカでした。

 

しかし、レーガン。史上最も偉大なアメリカ大統領、そして、史上最も偉大なアメリカ国民に選ばれるほどの人物ながら、日本語の文献がほとんど存在しない。これはちょっと不思議ですね。

 

レーガン。稀代のストーリーテラーであり、グレートコミュニケーターの異名を取り、国民の愛を一身に受けた不世出の導き手。彼の演説も聞いてみてください。この愛嬌がアメリカ国民の心を、わしっと、つかみました。それにしても凄い盛り上がり。

 


Republican National Convention: President Reagan ...

 

ではでは。