日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

社会的存在になる恐れ --ビジョンを策定した後。ビジョンって別に実現しなくてもいい。そこに選択の余地がある。これ、知らなかったなぁ--

昨日、ビジョンを描いていて、ビジョンというのも笑っちゃうんだけど、まぁ、描いていて、この世の中何が良くないのかな、日本、社会的に足りない機能、機能不全に陥っていることはないのかな、今後この世の中どうなるのかな、ということを考えていて、なんというか、まぁ、1つの結論に至ったわけです。暫定的なものですけど。ただ、そしたらですね、よくわからないんですけれども、なんというか、急によくわからない感覚に襲われたんです。きゅーっと胸が締め付けられるような、それでいて、呼吸が浅く、鼓動が速く、こう、居ても立ってもいられない、焦燥?とも違うような、とにかく平常心ではいられなかった。これはなんだということで調べるんですけれども、そんな経験している人なんてそうそういないわけで、全然出てこないんですよ。これは一体なんだということでずっと一人考えていたわけです。しかも、前任者がいないわけですから、これは書いといた方がいいなと、同じ思いをした人のために。そんな人がいるのか、というか、いないと思うんですけど。 

 

考えるに、考えるにですよ?考えるに、社会的存在になってしまうことへの、恐れ?当惑があったのではないかと思います。社会的存在?社会的存在。社会的存在とは何かといいますと、それは目的にロックアップされてしまった、目的に自分の行動を縛られてしまった存在、社会への忠義のために行動することを誓ってしまった存在。そんなものあるのか、という、そういう話なんですけれども、これは、まぁ、僕もわからないので、思ったままのことを書いてみます。要は、自分の将来の目標、解決したい課題があるとします。その場合、ある程度やるべきことは決まってきますよね。問題があれば、その解決の施策、解決の術は、比較的考えやすいですから。そうなるとどうなるかというと、なんて言うんですかね、そのための行動を取ることが是とされるんです。違うな。自分の一挙手一投足が天下り的に、逆算的に決まってくるんです。それ以外の行動を取ることは、良くないこと、恥ずべきことだとされる。目標にどれだけ近づいたか。今日一日どれくらい目標に近づくことができたのか、という尺度で自分が測られる。もちろん、そんなことはないんですけど、自分としては思い込んでしまっているものですから、そう思わざるをえないんです。でも、当たり前ですけど、人生、それだけではないんです。使命、仕事以外にも、日常、人とのふれあい、交流、何気ない一時、そういうわかりやすい幸せがあるはずなんです。それがねぇ、こう、悪と切り捨てられしまう。捨象されてしまう。怖かった。これが怖かった。要は、社会的存在になりきってしまって、自分の中で社会と生活、社会と日常、社会と共同体、onとoffが分離されてしまって、うーん、なんて言うんだろう、人間的に不完全、非常に不安定な状態になってしまう、と。これが怖かった。もう少し彩りのある人生が送りたかった。こういうことなんだろうと思います。

 

だから、なんて言うんですかね、もっとゆっくり、もっと器用に、もっと多彩に、やってもいいと思うんですよ。仕事一辺倒、猪突猛進ではなく、時に仕事、そして、区切り、業務を区切り、他の業務、そして、体験を差し込む。そういう器用な生き方がしたいですよね。ほんで、そのために、そう、そのために、仲間が欲しいなと。全部一人でやるのはしんどいんですよ。代替が効かないから。だから、代替、とまではいかなくても、そっと背中を支えてくれる存在、共に人生を歩む存在。仲間が欲しい、仲間を集めなければな、と。こう思ったわけです。

 

リーダーの仕事は旗を掲げることですよね。こう、高く掲げると。そこに人が集まるんですけど。それを幅広く迎え入れると。だから、少し、自分の余力をね、全て成果につぎ込むのではなく、人との協働、人とのつながり、連携に割いてもいいのかなと。最近になってそんなことを思いますね。大人になっているのかもしれませんね。自立して、協働して、徐々に人として成熟していっているというか、そんなことを思います。恥ずかしいですけど。はい。

 

ではでは。