日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

国公立二次試験廃止はそこまで忌避すべきものだろうか。

今朝方下記のようなニュースが至るところで見られた。

 

国公立大入試:2次の学力試験廃止 人物評価重視に- 毎日jp(毎日新聞)

初めの内は教育のあるべき姿について議論することは大いに結構、もう少し具体化して現実味を帯びてからじっくり考えてみようかと思っていたが、あまりに周りの反応が大きいこととその熱気に多少の違和感を覚えたため、こうして書き起こしてみた。

 

そもそも国公立二次試験廃止はそこまで問題なのか

学力自体に価値は感じているし、大学が学問の府であることを考えれば、入学資格を審査するために学力を測ることは合理的な処置だと思う。そうではなく、自分が違和感を覚えたのは周りの態度・雰囲気についてである。中学にしろ、高校にしろ、そして、当の大学にしても、当事者である学生、教員、そして、外部の有識者、著名人にしても、現状の知識偏重の向きには一度ならず不満を述べていたはずである。「こんな勉強に何の意味があるのか」という愚痴まがいのものから「PISAに代表されるコンピテンシー重視の教育体制への転換が必要」というような熱のこもった意見まで、与太話から有識者会議まで、幅広く議論は行われていたはずである。それなのに今回の声明が発表された途端、一斉に口角泡を飛ばして懸念を示す。この盛り上がりは何なのだろうか、と。その一貫性の脆さに驚かされるのである。

 

一体何がいけなかったのであろうか

今回のニュースに関して言えば、二次試験廃止の衝撃だけが独り歩きしてしまい、その本来的な狙い・意義が理解されないまま無闇に不安を煽ってしまった点に問題があるのではないかと考えている。要は社会を貫くのような、明快で、力強い説明の不在が問題だったのではないか。(この部分にはメディアの問題も絡むかもしれない。)

誰も二次試験を廃止したまま放置するつもりは毛頭なく、教育実行再生委員会も二次試験廃止のデメリットも熟知した上で今回の結論に至っているはずだが、その過程や論拠を適切に提示出来なかったために無用な反発を生んでしまったのが今回の構図ではないか。

 

今回のニュースが意味するもの

そろそろ本格的に日本の教育制度を更新しようとする覚悟の表れなのではないか。今回の計画では、基礎学力を測る新テストを高校に導入した上で人物評価の制度的枠組みを整えるようだし、決して学力を軽視するのではなく、学力に上乗せされた能力・実績を今後の日本の若者には求めており、学校教育で得られた知識を自分の意志の元に整理・統合して活用出来る力を期待しているのではないか。

とはいえ、今回の議論は大学の存在意義に関わる部分であるし、欧米の有名私立大に比べて国公立という強みを活かして短期的利益ばかり追求せず、実学分野よりは基礎研究に秀でてきたという歴史もあり、今回の発表をそのまま受け入れられないのも事実だろう。もし本当に二次試験を廃止するであれば入試制度を初め、大学のカリキュラム、大学の運営システム、そして、中高の教育制度にまで踏み込まなければいけない大掛かりな改革となり、関係各所との調整も必要になる。こうした改革は初めから完成形を示せないことの方が普通で、実験的施策を積み上げながら徐々に制度の更新を測るのが現実的ではないかと考える。

 

そう考えると今回のニュースの意義としては、これまでどこか遠くの出来事であった教育制度改革が、一部の人にとってはより実感のこもる形で議論の対象になったことに意義があるのではないかと考えている。これまで教育制度改革の議論は長らく行われてきたし、そのための取組みも大小様々な形で行われてきたが、イマイチ注目を集め切れていない。話題になった秋入学も難航してしまっている。それが大学入試という、一部の関係者にとっては極めてわかりやすく、思い入れも強い、聖域とも呼べる分野に足を踏み入れたことが特徴的だったのではないか。

 

とにかく議論を尽くすことが大切だと思う。もしかしたら議論の結果、二次試験を残すことになるかもしれないが、結論に至る過程が納得出来、それが最上の結論であるならば問題はない。日本の学力水準、そして、経済力が下がってきていることが客観的事実として現れている今、改めてこの国の基盤となる教育を考え直すことに重要性を感じている。