日々の気付きと時々、振り返り

しがないセールスエンジニアが日々考えてることをまとめたもの。

疑う力 --言葉の限界に目を向けて--

お久しぶりです。ご無沙汰しておりました。

この5日間たくさんの先輩方とお話してきました。そこで感じた、経験を言葉で表すことの難しさについて書いてみようと思います。

 

言葉に表れる誤り

言葉で表現される内容には誤りが多いなと思います。詳細を省略したり、話し手や書き手が見栄をはるために内容を歪曲したり、うまく一つの物語に仕立てたりすることで、言葉に表現されたことと実際に起きたことの間に差が生まれてしまうことが多い印象を受けます。

 

言葉で表すことの難しさ

一方で、言葉で表現することのそもそもの限界もあると感じます。経験の裏には多くの出来事が微分的に積み重なっており、一言では言い表せない歴史があります。そのため、言葉にしようとすると無理な単純化を引き起こし、言葉の裏に潜む混沌とした事実や関係性まで伝えることが出来ません。これが誤解を生む要因の一つになっていると思います。

 

本音と建前

特に、成功者のエピソードにはその傾向が強いと思います。綺麗なストーリー、ドラマチックなエピソードの裏には地道な努力や思いもよらない幸運/不運が潜んでいたりするのですが、舞台の裏側まで語られることはあまりありません。

 

そのためか、「努力すれば夢は叶う」という夢見がちな言説や「大人の世界は汚い」という過度に悲観的な言説が生まれ、極端な二元論に陥りがちな印象を受けます。物事それほど単純でもなく、二元論で割り切れるものでもないにも関わらず、です。

 

このことを表すいい例があったので、引用させていただきます。世の成功者に見えるホリエモンも実は努力しているんだよ、という話です。

 

以前、堀江さんのマネージャーに「堀江さんの凄さはどこにあるのでしょうか?」と聞いたことがあります。「彼は努力の塊ですよ。」とお答えいただきました。

 

その時、恥ずかしながらはっとさせられました。「好きな事をやっているだけ」と公言して、傍からは才覚に恵まれているように見える堀江さんも、現実には死ぬほど努力している。何も不思議なことはありませんでした。成功の裏に絡繰りはなく、ただただ努力があるだけでした。

 

言葉に表れる世界と現実の世界に隔たりがあると感じたのはこの時のことです。

 

行動を見る、行動を知る

だからこそ、事実に注目するようになりました。特に人の行動に注目するようになりました。自分の目で見て、直接話を聞いて、意見ではなく、事実に目を向け、自分の頭で判断する。その繰り返しで自分なりの理論を構築するようになりました。

 

そして、その結論や理論を、出来るだけ事実を歪めない形で広めていければいいなと思っています。欺瞞も虚飾もなく、ただただ本物の現実を。そんな思いがあったりします。

 

最後に、

完全に個人的な考え、そして、経験が色濃く反映された考えになりますが、僕は根拠のない理想論も人の気力を削ぐ厭世的な意見もどちらも苦手です。

 

どちらも嘘じゃないかと思わされる経験をたくさんしてきました。だからこそ、自分の目で見て、耳で聞いたものしか信じなくなったんだと思います。

 

その結実をより多くの人に知ってもらいたいなぁなんて、僭越ながら思ってるんです。少ししゃべりすぎましたかね。笑

 

ではでは。